第7期 #21

どっちもどっち

 会社のロッカー室で高木は、買い置きしていたクラッカーを開ける。本日寝坊して朝食抜きだったので、上司が席を外した隙を狙い食べに来たのであった。
 端に置いてあるパイプ椅子に座り咀嚼していると、いきなり部屋のドアが軋んで開く。見上げると、向こうから来た人物は何を気にすることなく隣に腰掛けた。
「春日さん」
 高木が名前を呟くと、相手は「一服しに来たのよ」とロングサイズの煙草を取り出して吸い始める。そんな春日は階の違うせいか余り面識ない。高木は会話に困り、それを誤魔化すように食べ続ける。
 二人黙ったままでしばらくいると、薄い壁の向こうから「適性検査に関する要項」を読み上げる声が聞こえてきた。
「…面接しているんですかね」
 高木がクラッカーをちょうど噛み砕いたところで口を開くと、春日がふっと煙を吐く。
「あれ、私の後釜決定戦」
 その身も蓋もない言い方に高木は「はあ…」と気のない台詞を返し、「辞められるんですか?」と慌てて付け加えた。
「結婚退職」
 そして彼女は鼻から煙を吹く。
「というのは上司に対する建前。実際は、面白くないから、よ」
「…。これからどうされるんですか?」
 クラッカーを勧めながら高木が問うと、春日は「いらない」と手を振って、深く煙草を吸い込み渋面を作る。
「そうね。誰も知らないところに行きたいわ」
 その言葉に高木は手を叩いた。「海外でのんびりカントリーライフとか? いいですね」
 しかし春日は首を振る。「嫌よ。あたし日本語しか喋られない都会っ子だもの」
(…何言ってんだこの人)
 横で呆れられるのも構わず、春日はちっと舌打ちした。
「でも主婦への道も捨て難い」
 そしてにっと笑って、彼女は備え付けの灰皿に煙草を押し付ける。
「予定ないけどね。だからどこかで働くしかないの」
 どこかってどこだろう。結局どうしたいのだろう。高木がそう思っている内に、春日は「お先」と言い置いて去っていってしまった。

(あの人、きっと何がしたいのか分からないまま辞めるんだ)
 高木はぼんやり考える。
(じゃあ自分は? こんなところでサボっている自分は? 仕事に熱意の欠片もない自分は?)
「どっちもどっち、かしら」
 そしてぺろりと舌を出す。
 夢に向かって邁進する人は素敵だけれど、夢の端っこさえ分からない私たちはどうすればいい。そう思い、でもとりあえず食欲が満たされたので、高木は「ああおいしかった」と呟いたのだ。



Copyright © 2003 朽木花織 / 編集: 短編