第7期 #16
山また山を越えた草深い村里に、男がたった一人で庵を結んでいた。
老人は死ぬなり、都会の病院に入るなりして、村にはいなくなり、若者は村を捨てていって、Uターンなどという現象は、この村に限ってなかった。
そうやって一人だけ取り残された男は、見捨てられた農地の、地味豊かなところだけをつまみ食いするようにして、農作物を植え、自給自足の生活をしていた。
一人暮らしとあって、身だしなみもあったものでなく、ぼろ服をまとい、髭はのばし放題。日焼けした肌は荒れ、皺も寄っていたが、足腰はしっかりしており、まだ壮年の域にあるのかも知れなかった。
男には都会への誘惑は起きなかったのか。それを問い質す者さえ村にはいないのである。たった一人の住人ともなれば、至極当然。
学校はとうの昔に廃校となり、一日一往復のバスもストップした。それもまた当たり前の話である。
さて、その山里の一軒家が火を噴いた。
火の不始末を注意する者もいなかったのだから、無理もない。男は慌てて火の見櫓を目指して駆け出した。
人っ子一人いない谷間の村に、半鐘を響かせて、いったいどうするつもりだったのだろう。
彼が生まれ落ちる前から建っていた火の見櫓に、慈母に寄せるような信頼があったのだろうか。
かくして村里には、一軒の家もなくなった。数年前までは空き家がかろうじて建っていたが、豪雪の重みに堪えきれず、家の形をとどめ得ないほどに押し潰されていた。
そのときから男は火の見櫓を常住の場と定めて、下りて来ようとはしなかった。村に一軒の家もなくなったとあれば、火の見櫓の務めも完了したわけで、家居としても何ら不都合はなかった。
男は時に、双眼鏡のように掌を丸めて村を睥睨していたが、それを知っているのは、向かい合わせた山の樹に留まる鳶とか、火の見櫓の近くを飛び交う鳥だけだった。
いや、これは正鵠を得た表現ではない。何故といって、上空を飛ぶ機の窓から、双眼鏡をあてがっていたカメラマンの私が、たまたま奇妙なまねをしている類人猿と思しき風体の男をとらえていたからである。
私は機の通過時間と、地図と磁石から、その場所を割り出し、探査の末に男を発見した。勿論接見して訊ねるの愚は避け、遠くより双眼鏡を頼りに、かかる男の心象を私なりに把握して、ここに拙い掌編とした次第である。