第69期 #9

水たまり

 砂利道に窪んだ、直径一メートルほどの平たい穴に、水が溜まっていた。水たまりである。雨が降ったのかもしれないし、誰かが水を撒いたのかもしれないし、子供がじょうろで水を流し入れたのかもしれない。水たまりは緩やかに屈折しながら光を反射し、一面の空を薄青く映していた。水たまりの中は、水が満たしている。いや、厳密に言うならば水のほかに、不純物が水たまりの中には混入しているのだろうが、俺はそれを水たまりとしか捉えることが出来なかった。水たまり、水たまり。

 水たまりが映す世界は揺らいでいた。俺はこれを題材にした小説が書けぬものかと考えた。散歩中、ふと水たまりを見つけた俺は、立ち止まって眺め、次第に水たまりが精神を映す鏡のような錯覚に陥る、水たまりが風で緩やかな波を立てるのに合わせて、俺の心中が揺さぶられ、次第に前後不覚に陥ってしまう、がっくりと頭を垂れる俺、遠景からの水たまり、ズーム・アップしていくと、水たまりには屈折した俺の顔が映っている。どうだろうか。俺は小説を考えつつ水たまりを眺め、水たまりの精神性を見極めようと努めたが、水たまりはただ水たまりであった。俺は次第に、水が溜まっているから水たまりというのか、水たまりという「言葉」それ自体、水が溜まるのとは無関係に成立しているのか、わからなくなってきた。どこからどこまでが水たまりであろうか。水は「み」「ず」である、水たまりは、「み」「ず」「た」「ま」「り」である。

 考えているうちに、水たまりのかさが減っているのに気がついた。日照りは強い。蒸発して外気に溶け込むのだろう。しばらく経つと、この水たまりは消えてしまい、地面の窪みとなってしまう。水たまりが、水たまりでなくなる?俺は歩いて別のことを考えようと思った。そうしないと、水たまりが消えてしまうのだと一人合点していた。考えるのをやめるのは水たまりが無くならないから?どういうことだろう?

「おう、奇遇だな」
 新藤が目の前に立っていた。俺は何を喋っていいかわからなかった。
「あ、ああ」
「何してたんだ、こんなところで?蹲っていたようだが」
「いや、ちょっとね」
「妙なやつだな、金でも落ちてたのか?」
「違う違う、これがさ」
 指で地面を指した。俺が示したのは、水の溜まっている直径一メートルほどの窪みだった。砂利がえぐられて平たい窪みになっているのだ。
「ん?」
 水面から、蒸気が静かに立ち昇っていた。



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