第68期 #22

ホーム

 階段を足早に上る途中で、空気の抜けるような音が聞こえてきた。まずい、と思っても遅い。すぐに扉の閉まる音が続く。ホームにたどり着いた私の前を、電車は静かに動きだし、少しずつ速度を速めながら流れ過ぎていった。
 高尾山口行きの特急は、これを逃すとあと10分待たなければいけない。ただの10分だけれど、気にもかけないほどの余裕はなかった。
 空いているベンチに座ると、夜風に冷やされたアルミの感触がスカート越しに伝わってくる。抱えていた箱を、刺激を与えないようにそっと膝の上に置いた。
 黒くてつやのない箱は、私の肩幅より少し小さい。見た目よりは軽いけれど、確かな存在感があった。ちょうどいい袋がなかったから、そのまま持ってきてしまった。せめて包装紙に包むでもしてくればよかったのだ。
「冷えますね」
 不意に声がした。失礼、と頭を下げながら男が隣に腰をおろす。スーツを着ているが、サラリーマンのようには見えない。男が手ぶらだったからか、妙な違和感を覚える。
「もう4月だっていうのに、これじゃあ落ち着いて夜桜も見られない」
 あいまいにうなづいて返す。世間話などしたい気分ではなかった。
「このあたりではもうあらかた散ってしまいましたが、高尾のほうはまだまだですよ。私は山登りなんて好きじゃないが、あれはなかなかいいもんです」
 視線を落とし、線路を見つめる。雀がとまっているのが見えた。早くおうちに帰りなさい、と思う。いつまでもそこにいると轢かれてしまう。
「いい箱をお持ちだ」
 冷たくなでるような声だった。手に力が入る。この箱は、あなたには何の関係もない。本当は私にだって、何の関係もないはずなのだ。
「ご存知か分かりませんが」
 雀が羽をせわしく動かして飛び去った。風に吹かれた空き缶が、乾いた音を立てて転がる。
「今朝、三鷹の公園で女性の遺体が見つかりました。遺体そばの地面には、まるでそこだけ抜き取ったかのように正確な四角い穴があった。そこにはその女性の――」
 はじかれるように立ち上がった。バランスを崩しそうになり、あわてて箱を抱えなおす。先頭車両の乗り場まで歩いても、男はついてこなかった。同じ姿勢のまま座って、こちらを見ている。
 風が冷たく頬をなでる。ホームの向こうから甲高い笑い声が聞こえてきた。学生だろうか、とぼんやり考える。ぐらぐらと震え出す箱を、両手で強くおさえた。線路の先に目をやる。電車はまだ来ない。



Copyright © 2008 川島ケイ / 編集: 短編