第68期 #17

存在のゆらめき

空が青いとそれだけでいい気分になる。鉄道に乗って町へ出かける高島は満足だった。と、隣りあわせた男が

「空が青いって感動する奴今でもいるかな」

と女に喋っている。高島は苦笑した。

男はダーツ得意なんだ、お前にみせたいな。と話し始める。高島には彼が平安時代の貴族に見えてきた。

昔は春になると素焼きの皿を的に投げる遊びが流行ったらしい。釉薬をかけない土器の茶色をかわらげ茶という。高島は慎み深い色あいのかわらげ茶がこんな空に、舞っていた時間を空想した。

麻布十番で鉄道を降りると、永坂で天ぷらソバをすすった。カツやソバを食べる度に漫画界の大文豪東海林さだおの肖像を瞼の裏に描く。彼がロシア文学を学んでいたこと、でも大学は中退したこと、友人だけ売れっ子になったこと、電柱に昇って叫んでいたこと、にも拘らず、ショージ君が生まれたこと。

生きることは天ぷらソバを食べるみたいにおいしいことなんだ、と高島は何度ショージ君から教わったことだろう。ソバ屋を出て、たぬき煎餅を買った。
 
空はまだ青い。踏む青と書いてトウセイというが、高島はますます気分よく広尾までの道を踏みしめていく。有栖川公園図書館の最上階の食堂で番茶を飲みながら、東京タワーを眺めているうちに、足がむくむくと芝公園へむかった。

そういえば西脇順三郎の墓がここにある。「存在はみな反射のゆらめき」という詩人の言葉も好きだった。墓参りをおえて、電車通りを右折して公園をあとにした。東京タワーは50年たった今でも空に鉄塔を突き上げ存在しているが、かつてここは大地震でめちゃめちゃになり、空襲で焼け野原になった土地だった。でもそんな出来事も、今では都市を語る時の香辛料となっていて、こうして高島が思い出すことさえも許してくれるのだった。都市の記憶に比べれば人間というのはちっぽけだ、と思うと哀しくさえなったけれども、たぬき煎餅を一枚ほおばると、うまかった。

ああ楽しかった、と思って鉄道に乗ろうとしたとき、高島の後ろからそっと後をつけていた一匹の猿が「もういいかい」と声をかけた。「うん」と高島は返事をした。「そろそろ千字だぜ」猿が言った。高島は千字小説の登場人物の一人だったのが、どうしても実際の東京を歩いてみたくて一日だけ抜け出してきたのだ。猿が腰にさしたナイフで高島をあざやかに斬ってしまうと、高島は音も立てずに、それこそ煙のように消えて、再び本の中に帰っていった。



Copyright © 2008 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編