第68期 #15
「ほらご覧、山羊がいるよ」
長細い手漕ぎボートから、友人の示す方向を振り返ると、成る程山羊がいた。山羊は、継ぎはぎのような二階建ての家の屋根にいた。苔生し広く張り出した一階の屋根に四足で立ち、頭を垂れて屋根に生えた苔だか雑草だかを食んでいる。それに合わせ、大きくも小さくもない角がゆらゆらと揺れていた。
「おや、本当だ。あれは呪術や悪魔に関係のある山羊かね」
「いやいや、白い山羊だから関係はないだろう」
「成る程、それも道理だ」
ボートの上で会話をしていると、山羊が頭を上げた。口を左右に噛み合わせて咀嚼しながら、砂時計のような瞳で我々を見据えている。
「山羊はどうやって屋根に登ったんだろうね」
「おやおや、二階の窓から入っていくよ」
山羊は、硝子も格子もない枠だけの窓を軽く飛び越え、建物の中へと消えていった。我々は、山羊が再び出てこないものかと、少しの間その建物を見つめていた。
ほんの数分しか経っていなかっただろう。やがて一階の扉が開き、山羊髭をたくわえた老人が出てきた。まさか先ほどの山羊が、この老人に化生して出てきたのだろうか。
友人が大声で老人に声をかけた。
「あなたは、先ほどの山羊ですか」
そんな疑いを晴らすかのように、二階の窓から「メェー」と鳴き声が聞こえた。
「君達は実に元気が良いね。君達は誰なんだい。何が言いたいのかね」
我々は誰なのだろう。何を言っていたのだろう。友人は身体を揺らし、全身を覆う黒い毛を振るわせた。私は友人を振り返り、首に吊るした大きな鐘をカンラカンラと鳴らした。
「白い山羊なら、平穏に暮らせたろうになあ」
「ああ、全くだ。我々が黒いばかりに」