第68期 #14

ドミノ

 車両を降りて、改札口に向かう昇りのエスカレーターに乗る。頭と胴体と手足を欠くことなく備えた人間が織り成す階段ドミノ。俺が今倒れたら前の中年おばさんから順にばたばたと直線のアートを創りだすのだろう。素晴らしく美しい。そこでは俺が一番だ。俺が始まりだ。だがドミノは自分からは倒れることは出来ないし、許されない。それはドミノに意志があることを証明し、アートが成り立つ前提を覆す。ドミノである俺を圧倒的に凌駕する神の手が俺の背中をどん、と押すと俺はおばさんを押すからおばさんが倒れる。残りのドミノも以下右に同じ。
「あの」
 刹那、額の上で浮かんでいた俺の美的創作がエスカレーターの下方に吸い込まれる。あからさまに嫌な顔をして振り向く。何だよ、君は。蛍光灯に照らされたストレートの髪が眩い。何だよ、その両肩のピンク色の紐のキャミソール。あと、何だよ、すごく可愛いですね、君。
「財布……あの人が持っていきましたよ?」
「え」
 あ、無い。ジーンズの後ろのポケットに突っ込んでいたはずの財布が無い。目線をエスカレーター上方へ。あいつだ。俺のヴィトンをトートバッグの中に入れている瞬間を俺は見逃さない。顔も左半部だが目に焼き付けた。そこまではいい。だが足が凍って動けない。まるで元から其処にあったエレベーターの付属品だ。
「追い掛けないんですか?」
 彼女の言葉に背を押されるようにして漸く足が動きだす。動き出せばもう大丈夫。さあ走れ走れ!俺!あいつがこっちに気づく。「うわっ」って口の形を俺に見せて逃げる。もう遅い。その距離3メートル。余裕だね。と、思ったら相手も韋駄天だ。負けられない。あいつが改札を飛び越える。俺も飛び越える。あいつが西口の階段を登る。俺は2段飛ばしで駆け登る。後1メートル。手を伸ばす。その汚ねえシャツ掴んで引き倒してやる。そこで俺ははっとする。そうじゃなかった。
「おらっ」
 相手の背中を自分の体諸共ぶつけて突き飛ばす。トートバッグから飛び出る俺のヴィトン。
砂埃を払って一件落着。相手はショックでそのまま突っ伏している。ざまみろ。
「さて」
 別に今日は予定があったわけじゃない。ただ、ぶらりと街に来ただけだ。だが、急務が出来た。あの、俺の背中を押しだした、神の手ならぬ神の声の持ち主、というか神を捜そうじゃないか。神に会えるなんて天運だ。
 それにしてもあの神様、すごく可愛かったなあ、おい。ははは。



Copyright © 2008 浦上やず / 編集: 短編