第67期 #26

川野

 荒川で友人と釣りをしていると、川下から静かに永谷園のお茶漬け海苔が流れてきた。ビニールの外装に包まれたそいつを拾い上げ、個装の紙袋が濡れていないのと、賞味期限まで二年以上あるのを見て、再び川に浮かべた。そしてしばらく笑い転げながら不思議に思ったのは「川下から」流れてきたことだった。流れのほとんどない下流域とはいえ、風もなく帆も張らないのに遡行できるものだろうか。何より可笑しかったのは、川面に浮かんでいたのが綺麗な未開封のお茶漬け海苔、ということだった。

 十年後、僕は地理学科の学生になり、友人は二児の父親となっていた。あるとき唐突に、結婚するぜ、とメールを寄越して、何事かと友人のアパートに行けば、五歳と三歳くらいの子どもが走り廻っている。子連れの女性と同棲を始めた彼は、何もしていないのに子どもを儲けたのだった。僕は子どもたちと一緒に絵を描いて遊び、麦茶をこぼした服を着替えさせ、手慣れてるねえと友人の彼女さんにひどく感心された。

 友人のアパートは中川沿いの低地にあり、暮らすにはよいところだが、大雨が降ると膝の辺りまで水に浸かる。台風のときには溢れそうなほどに中川の水位が上がった。もしも溢れたならアパートは押し流され、辺りが海のような光景となるに違いないけれど、それはきわめて自然なことでもある。大昔には海水に浸かっていた場所が、海退によって「土地」となったが、それが再び海に戻るだけのことだと思った。僕の暮らしている荒川沿いの低地は、やはり六千年前には海だった。あるいは一日のあいだにも海は満ち干を繰り返していて、河口から二十キロも離れた浦和における荒川の水位が、潮位の変化に合わせて上下しており、川下から川上に向かって水の流れる時刻がある。

 川面を行き来するお茶漬け海苔は、水に揉まれて海底にも固い地表にもなる土地のようだな、と、友人に話したとしても何のことやら皆目判らないだろうし、自分でもつまらない喩え話だと思っているから話さずにいる。土地がいつか海に戻り、お茶漬け海苔がいつか流されて海に戻り、僕と友人がいつかの釣りをしていた中学生には戻らないことも、ひどくつまらない当り前のことだから話さない。話さないけれど僕自身が忘れないように書き留める、ただそれだけのことで、忘れたからといって困りはしないし哀しくはないが、書き留めておけば、あとで読み返した僕と、僕の子どもたちが愉しい。



Copyright © 2008 川野 / 編集: 短編