第67期 #15

記念日

ねえ。浴室に向かう僕を背後から呼びとめる声に振り返ると、ベッドの上に両脚をこころもち開いて横たわった女の足親指に、青白い炎がともっていた。思わず僕は足をとめた。暗い部屋の中、五センチほどの高さの紡錘形の光は二つの丸い親指を包んで揺らぎ、他の指もゆっくり呑みこみ始めていた。女は両肘を立てて上体を起こすと呟いた。ねえ、なんだろ、これ? 珍しい昆虫を捕まえた子供の声のようだった。熱くないの? 僕は訊いた。女は首を横に振った。それからしばらくの間、足先を包んだ光が青白い輪に変わり、踝から膝へ、カタツムリの速度で這い上っていくのを、僕たちはただ見つめた。輪が去った後の脚はすっかり炭化していて、青く光る飾りが縁についた黒い靴下のようだ。その靴下の縁が膝を越えて太ももに達した時、女は小さく咳をした。両脚が砕けた。下肢があった場所一面に黒い灰が広がった。女は何かを言おうとしてさらに激しく咳きこみ、ばつの悪そうな、恥じているような目で僕を見上げた。その時にはもう新しい火が左右の手のひらにともり、リング状の光となって二本の腕を這い始めていた。女が鼻を鳴らすのが聞こえた。笑ったのかもしれない。話しかけようとして、二時間前に出会ったその相手の、名前をまだ訊いていないことに気づいた。女は照れ笑いを浮かべたまま、自分自身の炭化した身体に左右から挟まれていった。黒い扉が女の顔の前で閉じ合わされた。後には人の形に見えないこともない灰だけが残った。その灰の中に、鈍く光る小さなものが落ちているのを見つけた。指輪だ。拾い上げて顔に近づけ、そこに刻みつけられた小さなアルファベットを読んだ。H・Y。たった今まで目の前に横たわっていた、名前もわからなかった女の、頭文字なのかもしれない。シーツの端でこすって灰を落としてから、僕はその指輪を自分の左の薬指にはめた。生まれて初めて女と寝た夜の記念だった。



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