第67期 #11

夕鶴異聞

―あの女房殿は鶴なんかじゃ無かったのですよ―

そうですね、去年の秋からだったですかね、巷で有名な『鶴女房』が来たのは。
見事な反物でございました。手触りは絹みたいに滑らかな、翼の透かしが入った雪のように真っ白な反物は大評判でしたよ。
だからですかね、あんな見事な布地が人の手で作られたなんて。
ねぇ、皆信じられなかったのでしょうよ。しかも、その女房殿は機織りをするときには亭主にも
『決して覗かないでくれ』
なんて言って織っていたものだから噂がたったんです。

“女房殿は鶴なんだ、あの反物は、鶴の羽を織り込んだ「鶴の千羽織」なんだ”

上手いこと言うなと思いましたよ。
確かに、あの布地は言うなれば羽のような素材でしたからね。でも女房殿は、そんな噂ちっとも気にかけておりませんでしたけど。
素直な方でした。買い取る時もこっちの言い値で素直に頷いて下すってね。そんなふうに接して下さるから、こっちもボッたりなんか出来ませんでしたよ。
私としちゃ、亭主の方が情けなかったですがね。
布地が売れ始めたらすっかり怠けちまって、ええヒモですよ。女房殿もたまに泣きはらした目でここに来ることもありましたよ。

女房殿が最後にここに来たのは少し春めいた頃でした。
手に取った反物は薄く緋色に色づいて、しかも酷くやつれた顔で、此れを最後にもう織物はしないと言う。
どうなすったか聞きましたよ。
女房殿はね、背中を見せて下さって、そこには真っ赤に擦り切れた翼がボロボロになって垂れ下がっておりましたよ。この翼は想像の現れだそうで。もっと昔の人間はこの翼で空だって飛べたんだそうですが、今じゃこの翼はすっかり見えなくなって、人は自分に翼が生えていることも忘れてしまったそうでございます。
それでも恋しく思う気持ちがあるから、思い出すのです。想像の翼を削って織った物を美しく感じ、そういう物が高く売れるんだとか。
女房殿の翼は、深くむしり取って 肉が爆ぜて 白い骨まで見えてね。
今回の反物がうっすらと赤いのは血が混じっていたんですよ。

“これだけ織っても、亭主は自分にも翼があることを気づいてくれなかった”
“一緒に飛んで行きたかったのに”

傷薬を渡して高く買い取りましたよ。
女房殿は鶴になって飛んで行ったですって?
とんでもない
あの人はもう飛べやしなかった。歩いて行きましたよ。亭主の家じゃない方向へね。

だからね、あの女房殿は鶴なんかじゃ無かったのですよ。



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