第66期 #17
勤めていたカメラ屋に長い休暇の届けを出して、海に向かった。何日か何週間後か判らないが、海に足を浸すことができれば、すぐにも帰ると書き残してきた。了承を得られたかどうかは判らないが、一応、帰るべき場所はある。遠い海に続く幹線道路に立つと、時々、荷台にドラムバッグを括り付けた原付などが通り過ぎるのみで、乗せてもらおうと親指を立てても大きく手を振り返されて終わる。舗装路に薄く積もった灰色の砂埃が、原付のタイヤにまとわりついて離れないのを見る。遠ざかるエンジン音が正体不明の羽虫のようだと思い、鼻孔をくすぐられ本当の羽虫がいることに気付いた。静かに呼吸をする。
僕が長らく自宅と職場に引き籠っていた間、季節は緩やかに巡り、薄日の射す天候が続きながらも木の葉は徐々に色づき、同時に海岸線は遠のいていった。漠然とした心持で遠くの干上がった海を夢想し、干上がった魚が市街に運ばれる様を思い浮かべるが、あるいは職場の休憩室で眠りに落ちるまで読んでいた短編の一節ではないかと思える。春先の黄ばんだ空が目に焼きついたせいか、補色である青の深まりを見せる現在の空が、濃度をさらに増して黒に近付いていくことを、なんとなく腑に落ちるように理解できるなら、海が遠ざかるより早く波打際に辿り着くべきだと結論を見出せる。
過去に幾度も繰り返されているはずの海退を、目の当りにしている現在、普通の生活をすることには意味がない。海水が退いていくとき魚は一緒に流れていったのか、海藻に産みつけられた卵は残されたのか、それらの疑問が、僕の実生活には何の関わりもないけれど、事実を目に焼きつけたかった。それを書き残すこともなければ、写真に収めることもしないが、僕を拾いあげて海まで運んだ人々には何かしらの記憶が残るだろう。僕が魚と一緒に流れていったのか、陸地に取り残されたのか、記録には残らないほうが面白い。
未だ海に辿り着くどころか、乗せてもらえる車一台さえ見つからないというのに、想像のなかで僕は頭から波をかぶって喜んでいる。再び鼻孔をくすぐられて我に返り、羽虫を追い払うが、乾いた空気中で湿りを求めているのだと思えば無下に殺すわけにもいかない。しばらく羽虫と格闘していると、羽音に紛れて一台のピックアップトラックが接近していた。左手を挙げて車を停める。助手席に乗り込むと、日焼けした初老の運転手は、海辺の町に帰るところだと言った。