第63期 #17

八重のクチナシ

 八重のクチナシは実をつけない。それは八重のヤマブキが実をつけないのと同じく常識的なことだ。理由は知らない。
 うちの庭には八重のクチナシしかない。お隣の広い庭には一重のクチナシがあって、おせち作りの頃に、その実をもらうようになって、今年で3年目だった。
「ひとつあれば、栗きんとんが作れるのにねぇ」
 栗きんとんとは言うが、我が家で作るきんとんは、サツマイモを裏ごししたものだ。栗よりも水分が多いサツマイモは、栗で作るよりもずっとなめらかで、裏ごしさえすれば舌触りも良く、とてもおいしい。その鮮やかな黄色を出すために、天然着色料として、クチナシの実を使う。
 買えば済むのだが、庭にクチナシがありながら実らないというのが、やはり少し残念なのだろう。ペパーミントやレモングラスなどのハーブはもちろん、ときにはプチトマトまで育てて収穫を楽しむ母のことだ。八重のクチナシは、確かに花は美しいが、最近では緑色の大きなイモムシが葉を食い散らかして、その対応に少し閉口しているらしい。
「切っちゃおうかしら」
 そんな心にもないことを、と思うが、もしかしたら本気かもしれない。花が大好きな母だが、枯れ始めた切り花を捨てる潔さは、本当に好きなのかと疑いたくなるほどだ。グロテスクなイモムシを一掃するために、クチナシを株ごと抜いてしまっても不思議はない。そういえば、十年ほど前に、カミキリムシの巣と化したイチジクの木を切り倒す決断を下したのも、父ではなく母だった。
「でも、八重は実らないんだよ。ヤマブキだってそうじゃん?」
 私は必死で、けれどさりげなく、フォローしてみる。
「そうねぇ」
 そんなことを言っても、母は、切ると決めたらきっと切るだろう。
 私はそれ以上、何も言わなかった。

 その年の秋に、奇跡起きた。
 我が家のクチナシが、実を結んだのだ。
 たったひとつ。けれど確かに、八重のクチナシに実がなっていた。最初は半信半疑だったが、日に日にふくらんでくる実を、母はとても喜んだ。
 私は、こんなことがあり得るのかと、理科の先生に訊いてみた。
「お母様の愛情が、クチナシにまで届いたのね」
 夢見る乙女のような理科教師は、本気とも冗談ともつかぬことを言った。
 ──私には、愛情というよりも、執念に思えます。
 喉まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。

 結局、八重のクチナシは切られることはなかった。
 だがその後、実をつけたことも、ない。



Copyright © 2007 わたなべ かおる / 編集: 短編