# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | 8本足の秘密 | YUKI | 999 |
2 | 帰れない二人 | 公文力 | 1000 |
3 | 闇夜の果てへの旅 | 三浦 | 985 |
4 | 愛を伝える | 藤袴 | 620 |
5 | 宛名のない手紙 | 黒田皐月 | 1000 |
6 | 百円の正直(1000文字版) | わたなべ かおる | 1000 |
7 | キメラ | qbc | 1000 |
8 | ooopen | 藤舟 | 959 |
9 | 生きてる象の解体現場 | 朝野十字 | 1000 |
10 | チューズデー | 戦場ガ原蛇足ノ助 | 1000 |
11 | おいしい牛乳 | 宇加谷 研一郎 | 1000 |
12 | Can&Cannot | fengshuang | 989 |
13 | dive | 藍沢颯太 | 455 |
14 | アルカイックな彼女との対話 | かんもり | 977 |
15 | 鳥が瓶を食べ、熊が釘を食べる | 咼 | 1000 |
16 | ロードムービー | るるるぶ☆どっぐちゃん | 1000 |
この森の中に一匹の大きなクモがいました。大きなクモはその大きな体で糸を吐き大きな巣を作って獲物を捕っていました。しかし、そんなある日、クモはもっと大きな獲物がいるところは無いのかなぁと悩んでいました。体が大きかったクモは周りの獲物では満足できませんでした。しかしそこは頭のいいクモですからすぐ思いつきました「この地球は海が7割、陸が3割だ。大きな海に行けばもっと大きな獲物がいるぞ」クモは海に行くことに決めました。
クモは浜辺にやってきました。しかしクモですから海は苦手です。どうしよう、どうしようと悩みながら浜辺を行ったりきたり。そのうちとうとう横にしか動けなくなってしまいました。手も頭を抱えて悩んでいたのでばんざいしか出来なくなってしまい、頭を抱えすぎて手がはさみになってしまいました。クモはおなかがへったので獲物を捕まえるために糸を吐こうとしましたが、口から出てくるのは泡だけです。クモはカニになってしまいました。これでは獲物が捕まえられません。しかし、カニになっても足はあいかわらず8本です。
どうしようどうしようと考えていると、そこは頭のいいカニですからはさみになった手を使って海の中にいる魚を捕まえようとしました。カニはどんどん獲物を捕まえるのが上手になってもっと大きな魚を捕まえるためにもっと海の深くまで行ってみようと考えました。カニはどんどんもぐっていきました。潜っていくと海の水圧で甲羅が割れてどんどんはがれていってしまいました。甲羅がはがれたカニはそれでも獲物を目指して海の底にもぐっていきました。ついにカニは海の一番底にたどり着きました。甲羅が割れて筋肉だけになってその筋肉も水圧で丸く小さくなって、だけどカニはがんばりました。しかし、海の底には獲物が一匹もいませんでした。カニは悲して悔しくて海の底から一気に水面まで走りました。
すると水面についたカニは今まで水圧で小さくなっていたことを思い出しました。すると水圧から開放されてカニの体は見る見るうちにふくらんで風船のようになってしまいました。今まで小さかったのでいきなり大きくなってカニは真っ赤になってしまいました。カニは気持ち悪かったので泡を吹いてしまいました。しかし泡が真っ黒です。カニはタコになってしまいました。こんなに姿が変わってしまったのに足だけは8本のままでした。タコの足が8本なのはそんな話しがあったから。
で、ラリッちゃったまんま見世物小屋に入ったの。ジミヘンだとかドアーズだとかいかにもなノイズ。周りは殆んど白人ばっかり、皆虚ろな目をして色んなものを吸ったり飲んだりしてた。私はあれは何、これは?って質問するのだけれど彼はあんなのは気にするなって少し怒っているみたいだった。あの連中はもう行き場を無くした骸だ。だけど僕らは違う。僕は明日バンガロールに発つし、君にも行くべき場所がある。そう言うと榊原君は私に約束事をさせたの。決してこれから何が起ころうとも自分を見失わない事。そしてそれらの行為に決して加担しないこと。どうしてハル子ちゃんを連れて来ちゃったのかは全て僕の原罪だ。彼は私の手を痛いくらいに強く握った。
誰かがパーティーの始まりだって叫んだのが聞こえた。適当に設えたようなステージに客席から一人の男が上がると自分はベルギーからここにやって来て今ヘロインをやってて実にハイな気分だと陽気に語る。次の瞬間彼はこめかみに向けて銃を発射して倒れた。拍手喝采。突然まだ幼い位のインドの子供達が舞台袖から出てきて名もなきベルギー人をさらっていく。きっと本物のスイス製の時計はムンバイよりここの方が確かだと榊原君は言った。でもどうして銃がと言いかけたら今の世界に無いものは無いんだって彼は答えた。スウェーデンから来たカップルは性交しながら鉄製の万力に押しつぶされていった。やがてピストン運動が収束していくと二人は本当にシャム双生児のように見えた。それを見てアホみたいに笑っていた太ったアメリカ人は自らリンチを要求するとそれまで小屋の中に鬱積していた衝動がまるで箍が外れたように噴出し押し合いへし合いの中でアメリカ人の変態的な嬌声だけが殴打音の合間に響いた。小屋の中は嘔吐臭で充満していた。私も一度吐いた。狂ったように泣き叫んでいる赤毛の女は次の瞬間にはケラケラ笑い出した。まるでイカレてる。榊原君を見ると彼は冷静沈着としていた、が顔色が変わる。
ステージ上に二人のインド人の青年が大きな麻袋を引きずり上げる。それはもぞもぞと動いている。周りの喚声に麻袋が鋭利な刃物で裂かれると象の足が出てきた。そして人の裸体。顔、榊原君!〈僕の双子の弟だよ。やっと見つけた〉榊原君の微かな声が聞こえた。観客からはブーの嘆息。あんなの見飽きたよ、誰かがそう口にする。虚ろな眼をした弟は兄の姿を捉えた。弟は兄を待ち続けていた。
夜の背中を裂き、私は羽化を果たした。はじめの記憶が、肺を満たす冷たい外気の痛みだった。困ったものだ。吸わずにはいられない空気が痛みを伴うなんて。私は呼吸を否定した。が、どうしようもない、私の身体は空気を渇望していたし、その都度浸入する痛みにじわじわと掌握されてもいた。私の心が抵抗する意志を少しずつ手放してゆくと、痛みは掌を返したように私の事を温かく迎えてくれるのだった。そして、闇は深くなった。どうしようもなく深いのだ、この闇という奴は。
私は歩き始めた。飾りにもならない、くたびれた羽を伸ばす場所を求めて。
墓場を横切ろうとしたが、墓守に呼びとめられた。
「あんた、そっちにはなんにもないよ。それより墓を掘ってくれないか。眠れない奴らがいて可哀相なんだ」
ここから見える限りの土地にびっしりと薄汚れた十字架が突き立っていた。その透き間を、それを上回る数の屍の群れが彷徨っているのだった。何という眺望!
墓守から鋤を受け取り、私は十字架と十字架の透き間に鋤を突き立てていった。私が墓を掘っている事を知ると、屍たちは私を取り囲んで、墓穴が深くなってゆくのを今か今かと物欲しそうに見つめるのだった。だいぶ深くなっていった。私が一息入れるために地上にあがると、待ちきれない屍の群れが一斉に墓穴に飛び込んでいったが、あっという間にこの深い墓穴は塞がってしまった。塞ぐのは簡単なのだ、この墓穴という奴は。寝床を失った残りの屍の群れは、いつどこで掘られるかわからない墓穴を求めて、またとぼとぼと散っていった。
「ありがとう。最近じゃ、墓を掘ってくれる奴もいなくなってな」
言いながら、墓守は私の掘った墓に土をかけていった。暖かそうだった。その屍たちが、下から私と墓守を見守っていた。厭な目つきだ。憐れまれているんだ、屍に。
闇が、相変わらず口を開けていた。墓守の言った通りだった。何もなかった。見たことがなかった、灯りさえも。絶望的なのは、見えないのに、進むべき道がはっきりとわかっている事だった。それは半端な希望だった。半端な希望ほど、闇夜を渡る者にとって危険なものはないのだ。進むべき道が、そのまま奈落へ通じていないと誰が言えるだろう。希望は失わせる、視力を。闇夜を渡るために必要なものを。が、どうしようもない。歩いてゆくしかなかった。脚か! 厄介なものがついているものだ。
あいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてる
私はもう幾度この言葉を紙に書き記しているだろう。
あいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてる
幾ら書いてもこの想いは書ききれない。私から貴方へあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてる
文字が紙に書ききれなくなったので、次の紙をとってまた記す。あいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいし…あいしてるだけでは流石にワンパターンだろうか。あいしているばかり書いていたけど、これからは違う言葉でも想いを綴ろうか。
……あいしています、すきです、あいしています、すきです、あい…初めてあったときから好きでした。今も愛しています。未来もずっと愛し続けます。貴方だけを、あいしています。ふふっ、恋文みたいだ。あいしています、あいしていますあいしています…うん、やっぱりこの一言で全ては記すことができる。シンプルで、わかりやすい言葉。美しい言葉。私から貴方へ捧ぐ言葉、あいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてる
また紙が切れた。うふふ今日は何処までこの言葉を記そうか。ああでも昨日書いた恋文をまだポストへ投函していないから後で出しに行かなくちゃ。あいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてる、この想い貴方に届け
『今日は久しぶりにバッティングセンターに行ってきました。実際にバッターボックスに立ってみるとボールが想像よりもずっと速くて、最初はバットを振ることもできませんでした。だんだん目が慣れてきて、何発か気持ちの良い音をして打てたこともあって、楽しく遊びました。これから毎週行ってみようかなと思っています。よろしければ、あなたもご一緒にいかがでしょうか。』
ペンを置いて、便箋を封筒に入れる。真っ白な封筒には宛名も書かなければ、差出人も書かない。郵便やさんに迷惑をかけるのだからと、せめて切手だけは貼っておく。その封筒を、誰もいない真夜中にポストに投函する。
これは誰かに宛てた手紙ではない。しかし決して悪戯などではなくて、書いたことはすべて本当のことである。バッティングセンターに行ったことも、あまり打てなかったことも、それでも思い切りバットを振ったことが気持ち良かったことも本当のことであり、毎週行こうと思っていることも、手紙を読んでくれた人にも来てもらって一緒に遊びたいことも、決して嘘などではない。
どうすれば。誰とも会わない帰路に、幾度目とも知れない溜め息を漏らす。自分のことを誰かではない自分として受け入れてもらうためには。光の見えない小路で、幾度ともなく悩んだ願いを繰り返す。どうして。思考の迷路はいつも、この言葉で行き止まる。どうして声をかけないの、怖いから。どうして怖いの、傷つけられそうな気がするから。どうしてそれでも受け入れてもらいたいの、疎外感に耐えられないから。どうして耐えられないの、どうして、どうして。
『だって寂しいんだもん。どうしたって寂しいんだもん。だから、声をかけてください。きっと来週もバッティングセンターに行くから。だから』
罫線など無視して書きなぐった便箋を、また真っ白な封筒に入れる。それを今度は声を変えるヘリウムガスを入れた風船にひもで括りつけて、曇りで星明かりのない真っ暗な空に放つ。頼りなさそうに浮かんだ風船は、しかし夜風に吹かれてすぐに見えない遠くへと飛んで行った。
こんなくだらない思いも、風に吹かれて飛んで行ってしまえば良いのに。思うこともくだらないことを思いながらテレビのスイッチを入れると、深夜のドキュメンタリー番組でストーカーの事件が放送されていた。陰湿な手口にそれは怖いことだと思いながら寝床に潜り込み、今日もまたとろとろと眠りに落ちていった。
お店でさ、もらったおつりが、100円多かったら、どうする? もらっちゃうよな。店のほうが間違えたんだから、こっちはジャラッと財布に入れちゃえば気がつかないよ、って、気がつかなかったフリしちゃえば100円ラッキー、ってさ。そういや、ワイン3本買ったのに2本分の値段でレジ打たれて、電車乗ってから気がついてお金払いに戻ったっていう話はどこで聞いたんだったかなあ。さすがにワイン1本は高いよな。払うよな。そう、その話聞いて、思い出したんだよ。うちの母親のことなんだけどさ。
母親の話する前に、俺のことだけどさ、俺、昔っからケチなわけよ。わかるだろ? 自分が頼んだつまみは自分のもの、っていう、この、皿の置き方がさ、もうさ。お前手ぇ出すなよ、みたいなさ。あはは。でもあんた、それで嫌そうな顔しなかったから、こんな話してんだけどさ。なんでこんなにケチか、ってさ、ようは俺、仕事できないわけよ。ガキの頃にそう、悟っちゃったわけよ。だから小学生んときから、お年玉もらえば全部貯金してさ、マジマジ。それ、その貯金、切り崩しながら生活してくんだ、と思ったのよ。小学生で将来設計してんだから、素晴らしいよな。え? 暗いって? まあね。でも俺としてはさ、そんなに悪くないアイデアだと思ったわけよ。だって、仕事なんかできないけど、なんとか生きてこうってんだから、前向きだろ?
でも俺がこんなだからってさ、親の顔が見たいとか、ホント言われたくないんだよな。そう、それで、母親の話だけどね。まだ俺がガキの頃、ったって中学生くらいになってたかなあ。とにかく、親といた頃だよ。母親と、あんときは親父もいたなあ。日曜かなんかだったんだろな。とにかく三人でさ、昼飯食いに行ったんだよ。定食屋みたいなところに。で、食事終わって、俺、トイレ行ったわけ。それで、トイレから出てきたらね、店員が二人で、ほんわかしたかんじでさ、いまどき珍しいよねえ、って話してんだよ。もう客いなくてさ。なんだろ、と思いながらさ、ありがとうございました、って言われながら車行ってさ、なんかあったの? って訊いたんだよ。
そうしたらさ、おつりが100円多いから、返した、って、母親が言うわけ。それで納得だよな。店員の、いまどき珍しいよねえ、って話。俺の母親ってさ、そういう人なわけよ。俺がいくらこんなでもさ、親の顔見たいなんて、言われたかないわけ。な。わかるだろ?
泥酔した次の日、目を覚ますとのどがカラカラに乾いていて、軽い二日酔いのようだった。少し頭が痛いが大したことはない。体がこわばっているのを感じた。どうも固い床かなんかに寝てしまったようだ。腕をまわして体をほぐし、眼鏡を捜しながら起き上ろうとしたら何か落ちていたので拾い上げた。立ちあがってよく見てみたら包丁である。何かで刃が汚れているみたいで手も少しぬるぬるする。僕は近眼なので包丁を顔から五センチぐらいのところまで近づけたらやっと見えた。どうも血のようだ。何で血で汚れた包丁が床に落ちているのかわからないが、とりあえず眼鏡がないと始まらないので床を手探りで探してみる。そのとき初めて気づいたのだがそのフローリングの床はあちらこちらに包丁と同じように血が付いていたのだ。
案の定俺の服は気がついたら血だらけになっていた。昨日は白いシャツを着ていた記憶がある。今は見る影もないが。洗っても落ちないかもなと思った。最悪だ。ギュッと目を閉じて深呼吸する。まだ頭がいたい。落ち着くためには素数を数えるのもいいが論理的に考えることが大切だ。服は洗えばいいしだめなら捨てるしかないここまで汚れたのだから手遅れであることは変りはしない体も洗えばこんな気持ち悪い状況からは抜け出られるだろう。だから大切なのはただ一つだけだしやれることも一つ、眼鏡を確実に見つけることだけだ。それができれば状況だってわかるだろうしはじめてなんらかの対処ができる。
俺は(おそらく)血だまりの中を這いつくばってそこら辺に落ちているはずの眼鏡を捜した。その部屋は六畳ほどで(おそらく)テレビと机があってその上も探したが見つからない。わかったことは(おそらく)それらの上も血で汚れていたということだ。いやもしや僕が触ったから汚れたのかもしれない。わからない。
また床の捜索に戻った僕は何となくさっきの包丁を拾い上げた。思いもしないことにその時僕の背後の(おそらく)扉が開いた。僕が振り向くとそこには(おそらく)誰か人がいた。当然扉を開けたやつなんだろうな、なんて考えてる余裕は(おそらく)ないのだが。そいつは特に何も言おうとしない。僕も黙っていた。
そうだ。もしかしたら見つからなかった眼鏡は真っ赤なシャツの胸ポケットにでも入っているんじゃないだろうか、と僕は思った。
ようやく派遣の仕事が見つかり直接現場へ向かった。千葉まで電車に乗りバスに乗り換えだだ広い埋立地で降りてヘリコプターに乗り込む。ヘリは洋上の巨大タンカーに着陸し私を降ろすとすぐ飛び去った。渡されたマニュアルを開いてこのタンカーを運転する仕事だと初めて知った。タンカーに乗っているのは私一人だった。大判の分厚いマニュアルには毎日の指示が事細かに書き込まれてあった。操縦室には旧式のレバーやらスイッチやら電球やらがずらり並んでいてすべてに名前がついていた。「愛に関する一般的約束レバーを引いてください。真実と夢の境界線ボタン、頭痛と歯痛の種ボタン、ひまわりとオウムのボタンを押します。赤坂の心象風景が黄色く点灯するのを確認してください」
プレートに小さく書かれた名前をひとつひとつ読んでマニュアルの指示しているボタンを見つけるのに小一時間もかかることがあった。
昼休み厨房に入ると本格レストラン並みにピカピカに磨かれた調理器具が揃っていて、巨大な冷蔵庫が何台もあり大量の食料が冷凍されていた。マニュアルにはエンドウマメとニンジンのオムレツやら豚肉と野菜の五目炒飯やらアボカドとベーコンのゆずこしょう風味パスタやら日々違う料理の詳細な作り方が指示されていた。マニュアル通りにやるのが契約条件なので私は毎日様々な料理を一生懸命作った。だんだん腕が上達しておいしい料理を作って食べることは心身によいようだった。
午後には船底の小さな部屋に入って「女友達を慰める」と書かれたボタンを押した。
「昨日彼氏と会ったらさー冷たくてえ。ぜってー他に女いると決めた。わたしゃ決めたよ。だってー」
「本人に聞いたのか」
私がマイクに向かってしゃべると七色のランプが点滅する。
「聞かねえよ……ねえわたしどうすればいい(すすり泣き)」
「ええっと……」
「死にたい。死ぬと思う。ねえどう思う?」
こちらが返事をしなくても「女友達」のおしゃべりは続く。これは料理とは違って毎日ほぼ同じ内容だ。二時間ばかり愚痴を聞いた後でカタカタと音がしてスーパーのレシートのような紙に半角カタカナで成績が出る。やはりこのタンカーは一時代前のもののようだ。マニュアルには毎回六十点を超えるよう指示されているが非常に難しい。
夕食前には甲板で体操する。見渡す限りの大海原に真赤な夕日が落ちていく。
マニュアルに書いてないのでタンカーがどこに行くかは知らない。
ニルヴァーナでウェイティング的なことを書いたつもりかもしれないしそうではないかもしれない、文意の不明瞭な書置と赤い携帯電話を残して二日間行方知れずの従兄を捜して、その日七件目の電話を西川靖史氏にかけると、機嫌のあまり良くなさそうな女に繋がった。
「もしもし? コウちゃん?」
従兄の名前は康広だったが、女が電話の持ち主を何者として登録しているのかはよくわからなかった。
「もしもーし」
「すいません、この電話の持ち主の方を捜しているんですが」
「えっ? あ、はい」
「うまい連絡方法をご存知ありませんか」
それまでに、三人がその携帯以外の連絡先は知らないとひどく邪険な調子で言い、二人が勝手にあれこれ教えるわけにはいかないので本人からの連絡を待てと糞の役にも立たないことを言い、一人が聞いた覚えのない言語でしばらくまくしたてた。六球続けての空振りの原因としては、従兄の日頃の行い、個人情報の保護に関する法律、私の話術等、いくらでも候補を挙げることができた。
「うーん、携帯の番号以外は知らないと思いますけど。何かあったかな……」
カバンの中身をかき回すような音が聴こえた。いい加減飽きがきていたので、ベース寄りに一歩踏み込んでみることにした。
「失礼ですが、あなたはキャバクラか何かにお勤めですか」
L字型のソファーの斜め向こうからじっとこちらを見ていた耳の悪い叔母に向かって小指を立てて、唇を読まれないように細工したつもりだったが、彼女が露骨に顔をしかめた以外には、効果のほどはよくわからなかった。
一瞬と呼ぶには少し長い間の後、電話が切れた。
発着信履歴から適当に選んだ七人に正午過ぎから電話をかけていくと、ちょうどテレビに出ているはずのアイドルグループのリーダーばりに気怠そうな声をした七人の女が出た。従兄は高給取りではなかったはずなので、失踪の原因は金か女かその両方のように思われた。
結論がそんな退屈なものならわざわざ人を不快にさせるような電話をかけて回る必要はなかったのにと思いつつ、テーブルの上のメモ帳にあらかじめ書いておいた《警察》の二文字を丸で囲った。叔母は何かを言いかけてやめて、両手で顔を覆った。まだツーアウトとワンストライクだったな、などと考えていると、メールが届いた。
今月の請求金額を告げるそのメールは、まるでこうなることを知っていたかのように、誰に宛てたものとも書かれていなかった。
忘れられない犬がいる。
俺がそう言ったら、マコはとたんにSMの相手? と切り返した。いやはや調子が狂う。マスターそろそろアレ、おくれよ、ミルク。ボトルいれるよ。明治おいしい牛乳。
マスターはハイという。ボトルミルクは一本3万円。正確にいえば9割は返済である。それでも3千円!
だったら酒にしなよ、とマコが口を開く。いいんだ、明治ラブ。
それで犬は? 犬? そうだった。
犬はペクペクといった。犬小屋にビニールテープで名前が貼ってあった。長屋の軒先にあった。そう。長屋にはいつも下着の女や七輪で魚焼いてる大家の爺さんや、彼らを撮る写真屋が住んでた。そう。ペクペクは写真屋の犬だった。そこは仕事に行くときの通り道だった。足を揉む仕事。女の足を揉むんだ。
ある日、ペクペクの小屋はなくなってた。
淋しかったの、とマコ。いや、俺一回も見ちゃいない、その犬。いつも尻尾をむけて眠ってた。だから、俺ペクペク知らないんだ。なあ、マコ。触ったこともない。後ろ姿しかみたことがない。でも俺、明治牛乳飲むたびに俺、ペクペク可愛くって仕方ない。俺、マコ。阿呆だった。一度くらい骨付きカルビ持っていきゃよかった。
……と俺は酔態をさらしたらしい。マコの布団は女の甘い匂いがして、気持ちよかった。目覚めて昨夜の失態を理解するのに一杯の牛乳を必要とした。明治でも何でもないミルクよ、ね、ペクペク思いだす? とからかわれ、そういえばそんな犬小屋を覚えていた。いつも冴えない尻尾姿。下着の女と魚焼くジジイ、ライカを崇拝した写真屋。ああ、彼は交通事故で死んだんだ。
「ペクペクの飼い主は死んだんだ」
俺は口に出してしまって後悔した。これじゃあ昨夜の続きじゃないか。でも話さずにいられなくて、聞いてもらった。何のために何が目的で話をしているのか自分がわからなくなっていた。
話し終えると急に恥ずかしくなってきた。
「マコ、俺んち来いよ。付き合ってくれたから飯つくるよ」
「ここでつくってよ」
「何がたべたい」
「パンケーキ」
「材料あるか」
「卵、明治じゃない牛乳、砂糖、膨らし粉、バター」
「ホットケーキミックスじゃないのか」
「じゃないの」
パンケーキは膨らまなかった。マコはクレープみたい、とバニラアイスをのせて巻いた。俺も真似をした。
今はマコも結婚して母親であるらしい。俺は酔うと相変わらず明治牛乳を呑む。牛乳はうまいがいろいろ思い出すこともあって、ちと厄介でもある。
初めてもらったものだった。
なんてことはない。どこにでも売っているようなキーホルダー。
それでも、とても嬉しくて、ぎゅっと握りしてたのを覚えている。
もらったときは本当に嬉しくて、幸せで。あるのが当たり前になって・・・・・・。
そして、辛くなった。
当たり前で空気のようになったそれが、悲しみの重石になった。
連絡がつかなくなって、そして来た彼の友人からの連絡。
「あいつ死んだよ。交通事故で」
涙をこらえるように言う、あの声が、私の耳にまだ残っている。
そして、また、月日が経ち、空気のようになったキーホルダー。
今でもじっと見ると、思い出して涙がでたりする。 でも、ね。私、前を向いていくよ。
あの時のことを忘れない。絶対忘れない。本当だよ。でも、思い出にさせて。楽しいことも悲しいことも、見ると、思い出しすぎるの。
だからこれは――――
私は思いっきり手をふり、川へキーホルダーを投げ捨てた。
ごめんね、ありがとう。
いらなくなって捨てたわけじゃない。
瞬、あなたならわかってくれるって信じてる。
*
初めてもらったものだった。なんてことはない。どこにでも売っているようなキーホルダー。でも嬉しかった。身近にあった。車のカギと一緒につけて、それを見るたびに笑む彼女が好きだった。
いつしか手元にあるのが当然となって・・・・・・。
それが悲しいものとなった。
たまにはね、と別の場所で待ち合わせ。
今でも思う。あれが良くなかったのかなと。
遅れたことがない彼女が30分も来ない。その間にメール、電話。返事なし。家に行ってみようかと思った時、ダチからの着信。でも、電話にでたのはダチの彼女で。
泣いていた。信じられない言葉の数々。交通事故。即死。
それから俺はどうやって帰り、どうしたんだろう。
今だから言える。ショックだった。
手元に残ったのは、あのキーホルダー。今はもう傷だらけで、塗料すらほとんど残っていない。
だけど、見るたびに思い出す。カギからは外した。さすがにいつも見るのは辛すぎた。
いつも夢を語ってた。楽しそうに将来を話すユキが好きだった。
生きていていいか? そうつぶやくと、あの頃のユキが怒ったように、あたりまえでしょ、という顔が目に浮かぶ。
ありがとう。
来月、俺は結婚する。
でもこれは・・・・・・。
俺はキーホルダーをそっと引き出しにしまった。
右腕を伸ばす。硝子の肌に、黝い血管が描画線ように走る。buildingの屋上には金属性の懶い風が吹いている。少年は爪を立て、辟易を込めて街を引っ掻く。艶めくtarのような細い筋が、見下ろした雑踏に散り怪人の唇を真似て歪んだ。その微笑が、黒光りする遺伝子を持って街を廻る自動車や人間達にmodulationを与え、帰る場所を密かに殺いでいる。水の予兆が聞こえる。精霊の踊りのように、遠くから、滔々と。少年はこの時を待っていた。波が来る。黒い狂濤が押し寄せる。滂沱として、街を飲む。少年は扉を開ける動作で両腕を拡げ、buildingの屋上から飛び立つ。降下。巻き上がる水煙の一滴一滴が風に研がれ、白い肌を沛然と穿っていく。眸から溢れた光芒が、流線型を成して少年を蔽う。足元からの驟雨が止んだ。少年は呼吸を止める。自動車や人間達は奥底に澱み、壮美なる沈黙を形成している。その、aestheticismとの交感。恍惚。薄甘い享楽の浸染を感じながら、少年は錯乱するimageryを解き放ち黒い海の渾沌へと消失していく。
彼女はガラスの向こうの暗い街を見ている。人通りはなく、道路も車のテールランプが赤い線を一瞬残していくだけ。彼女はそのまま顔を動かさずに私に話しかけた。
「ワタシ疲れてしまったの」
私は頷いた。そう、どうして。
「だって、いつまでこんなことしなくてはいけないのかしら」
望んだことじゃないの? と聞いた。
「仕方なかったのよ。とりあえずはこうするしかなかったの」
それなら、何かやりたいことはあるの?
「ないわ、だから疲れているんじゃない。目標と情熱があれば、人間疲れないものよ。疲れたにしても苦じゃないのよ」
こちらを向いた彼女の顔に照明が当たり、陰影がうまれる。いつ見ても端正な顔だ。
「やりたいことがあって、それが思うようにできる人は幸せなのかしら?」
彼女はじっとこちらを見ている。私は、さあ? と答えた。
「多分幸せなのよね、だから皆憧れるの。でも皆がそうしてたら地球は回っていかないわ」
地球は勝手に回るじゃない。習わなかった「自転」って。私は少し笑う。
「比喩よ、比喩。ほとんどの人はやりたくもないことをやってくしかないのよ、勉強して、受験して、就職して、働いて……。それじゃ、退屈だから皆競争するのよね。皆と一緒が嫌なのよ」
私は短く息を吐き、何青臭いこと言ってんのよ、と言ったが、彼女は構わず続けた。
「偏差値がいくつとか、給料がいくらとか、そうやってずっと競争して、勝ち組、負け組って決められていくのよ」
私は彼女の全体を眺めながら、少し冷ややかな目で、それから? と聞いた。
「そうね……、だからワタシは競争に疲れたのよ。いつまで競えばいいんだろうってね。そう思わない?」
そうね。でも、やりたいこともないんでしょ? と聞いた。
「そうなのよ」
私は今度は長く息を吐いた。やりたいこと自由にやってる人は、競争からも自由になるって思ってない? と言った。
彼女は黙ってしまった。
そんなことないのよ、多分。私は続けて言った。やりたいことで競争する方がつらいこともあるわ。
「……あなたも青臭いわね」
彼女は表情を変えずに言った。
私は外に出て、ガラス越しに彼女を確認した。ショーケースの中の彼女は文句も言わず、一人でじっとポーズをとっている。その顔は少し半跏思惟像のように見えた。
「でも、競争相手がいないっていうのも悲しいかもね」
と私は言った。彼女はその表情のまま何も答えなかった。
私は起き上がる。
今日もこの膨大な瓦落多の山から目当ての小瓶を探さなければならない。取りあえず昨日探索を終えたばかりの小山に放尿。膀胱が空になると胃の腑も空である事に気付いたので、周囲の瓦落多から食えそうなものを探す。ほどなく見つけたのは真空パックされた黒皮餅。剥いて喰う。
ここはその昔、鏡山などと呼ばれ、地元の人々の信仰対象になっていた事もあるらしい。しかし16年前の事件後、度を超して相次いだ不法投棄のせいで塵芥の山と化してしまった。
私は横たわる。
今日もこの膨大な瓦落多の山から目当ての小瓶を探し出す事はできなかった。取りあえず今日探索を終えた所に適当な空き地を確保し、眠る。昔の友人の弟が思いのほか無礼な輩で、それを指摘できない自分にやきもきする夢を見て目覚めれば未だ夜。
本当に小瓶はあるのかと、幾度自問自答してきた事だろう。しかし、その度に強烈な耳鳴りが、私を襲い、考えを、中断せざるを得なくなる。小瓶の精の仕業だとあの爺さんは言っていた。姿を見なくなって暫く経つ。こんな事になるのならばあの時、火にあたらせてやるんだったな。何なら酒でも分けてやればよかった。震えながら「歩いて歩いて歩き尽くした感のあるこの庭園ですが、実はまだ未到の林があるんです」等と言ってたっけ。今頃実はそう遠くない瓦落多の底に埋もれて、永遠に暖をとっているやも知れない。それともとっくに小瓶を見つけて此処からオサラバしている、か。
そりゃ無いな。
おお、最前から奴の考えている事がそっくり俺の頭に流れ来る。勿論これは小瓶の精の仕業に他ならない。俺は俺の小瓶マイオウン小瓶を手に入れて青年期にまで若返った。もうピンピンです。奴に見つからぬよう此処からオサラバしてやる。ついでに奴の小瓶まで見つけた事は内緒で。あ、中身は捨ててやった上に少女趣味全開の手紙を詰めて濁海に流したのも内緒でひとつ。
そして家路。ほの暗い道端、壊れた信号機の根元。
背の高い草に紛れ、体操着の人影が、ぺたりと地べたに腰をおろしていた。両手に黒いプラッチックの衣紋掛を持って微妙に上下と揺らしている。
こんな夜に子供が危ないな、と顔を見ると老婆だったので、ヒョッと肝が冷えた。
その俺の冷えた肝の匂いを嗅ぎ付けてやって来たのは煤けたペリカンと黒犬。と思ったらハシビロコウとマレ−熊だった。しかも瓶や釘をバギバギ音立ててはんでいた。
ロードムービーに激突するロードスター。
ハリウッド。ハリウッド。ハリウッドハリウッドハリウッド。
でも昔は良いこともあったよ。
昔はいい頃もあった。
良い子もいたよ。
スピーカーからはクラシックミュージックが流れている。アイネクライネナハトムジーク。悲壮。歓喜。主よ、人の望みを喜びを。勝手にしやがれ。スティーリー・ダン。50セント。アンダーワールド。でもクラシックミュージックってどんなだっけ? クラシックミュージックって何だったっけ?
(ショパン・コンクール)
(ムーグ・コンクルール)
(バックミンスタ・フラー・コンクール)
五線譜。降り注ぐ五線譜。降り注ぐ降り注ぐ降り注ぐ五線譜。
エチュード。ノクターン。ノクターン。エチュード。
(クラシックミュージックってどんなだったっけ?)
(昔は良いこともあったよ)
(良い頃もあった)
(エチュード。ノクターン。ノクターン。エチュード)
(あの子がいた)
(あいつが居なかった)
五線譜を塗れたアスファルトから拾い上げる。エチュード。ノクターン。ノクターン。エチュード。
五線譜をあなたに巻き付ける。あなたに。五線譜をあなたとわたしに巻き付ける。
乳房とガーターベルトとガラスと鍵盤とピンクのレースの花束。
花束を受け取った花嫁と花婿は歩き続ける。道を。道を。道を道を道を。
アスファルトに書かれた花束。
アスファルトに書かれた五線譜。
ロードムービー。
(「これで認められなければもう知らないよ」)
(「美しいわ! あなたはとても美しい!」)
(「エチュードをもっとしっかりやりましょうね。エチュードをもっとしっかりおさらいしてきてくださいね」)
(「これで認められなければもう知らないよ。これで認められなければもうどうでも良いよ」)
(「エチュードをもうちょっとしっかりやりましょう」)
(「今日も空が綺麗だね。金も無いけれど。花も綺麗だ」)
アルファルトに描かれたモナリザ。ラファエロ。ムリーリョ。ひまわり。インターナショナル・クライン・ブルー。ヘロデ王の前で踊るサロメ。ピエタ。ヨカナーン、あなたに、くちづけしたよ。あなたに。あなたにくちづけしたよ。無題。無題無題無題無題。乳房とガーターベルトとガラスと鍵盤とピンクのレースの花束。
ただ街灯に照らされて。五線譜を、指でなぞる。乳房とガーターベルトとガラスと鍵盤とピンクのレースの花束の五線譜。
ただ街灯に照らされて。