第62期 #14
彼女はガラスの向こうの暗い街を見ている。人通りはなく、道路も車のテールランプが赤い線を一瞬残していくだけ。彼女はそのまま顔を動かさずに私に話しかけた。
「ワタシ疲れてしまったの」
私は頷いた。そう、どうして。
「だって、いつまでこんなことしなくてはいけないのかしら」
望んだことじゃないの? と聞いた。
「仕方なかったのよ。とりあえずはこうするしかなかったの」
それなら、何かやりたいことはあるの?
「ないわ、だから疲れているんじゃない。目標と情熱があれば、人間疲れないものよ。疲れたにしても苦じゃないのよ」
こちらを向いた彼女の顔に照明が当たり、陰影がうまれる。いつ見ても端正な顔だ。
「やりたいことがあって、それが思うようにできる人は幸せなのかしら?」
彼女はじっとこちらを見ている。私は、さあ? と答えた。
「多分幸せなのよね、だから皆憧れるの。でも皆がそうしてたら地球は回っていかないわ」
地球は勝手に回るじゃない。習わなかった「自転」って。私は少し笑う。
「比喩よ、比喩。ほとんどの人はやりたくもないことをやってくしかないのよ、勉強して、受験して、就職して、働いて……。それじゃ、退屈だから皆競争するのよね。皆と一緒が嫌なのよ」
私は短く息を吐き、何青臭いこと言ってんのよ、と言ったが、彼女は構わず続けた。
「偏差値がいくつとか、給料がいくらとか、そうやってずっと競争して、勝ち組、負け組って決められていくのよ」
私は彼女の全体を眺めながら、少し冷ややかな目で、それから? と聞いた。
「そうね……、だからワタシは競争に疲れたのよ。いつまで競えばいいんだろうってね。そう思わない?」
そうね。でも、やりたいこともないんでしょ? と聞いた。
「そうなのよ」
私は今度は長く息を吐いた。やりたいこと自由にやってる人は、競争からも自由になるって思ってない? と言った。
彼女は黙ってしまった。
そんなことないのよ、多分。私は続けて言った。やりたいことで競争する方がつらいこともあるわ。
「……あなたも青臭いわね」
彼女は表情を変えずに言った。
私は外に出て、ガラス越しに彼女を確認した。ショーケースの中の彼女は文句も言わず、一人でじっとポーズをとっている。その顔は少し半跏思惟像のように見えた。
「でも、競争相手がいないっていうのも悲しいかもね」
と私は言った。彼女はその表情のまま何も答えなかった。