第61期 #15

甘え

別れよう、なんて言葉は無かった。

「もうたくさんだ……」

 急に付き付けられた現実は、アタシの想像を超えていて、
一瞬何を言われたのか分からなかった。
 そして、失ったものに気付いた時、アタシは喉を枯らして崩折れた。



 暗い部屋の中、アタシは1人ベッドの上で、左の袖が伸びきった彼のYシャツを抱きしめる。

 アタシは一緒にいるだけで幸せだった。
 いつも一緒にいて、何をするのでもなく、共にいるだけで心が温かくなった。

 でも、彼は違った。
 行動的な性格で、色んな場所へ出かけるのが好きだった。
 優しくて、包容力があって、いつも笑顔で……アタシのワガママを何でも聞いてくれて……。

 なのにアタシは、2人きりでいたいから、どこにも行きたくないって言った。
 タバコは匂うからヤダって止めさせた、賭け事はよくないって言ってパチンコも行かせなくした。
 お酒はアタシに付き合わせるために、飲めるようにしてあげた。
 徐々に変わっていく彼を見て、アタシは芽吹く緑に姿を重ねていた。

 でも、アタシは何も変わっていなかった……。
 この伸び切ったこの袖が、アタシの全てを表していた。
 結局アタシは、彼を引っ張って、捕まえて、甘えて……それだけだったんだ。

 そのことに気付いて激しい後悔が湧き上がってきた。

 もう一度彼に会おう。会って、謝らなくちゃ……。
 私は恐る恐るリダイヤルボタンを押した。



 約束の30分前。彼は約束の場所に立っていた。
 律儀で、真面目で、とても優しくて……怒らせちゃったのに、こうして会ってくれる。
 でも彼の目の温度は明らかに違っていた。

 アタシは見つめられただけで、凍えてしまいそうで……。
 一歩踏み出すのも、辛かった。
 それでもアタシは一歩前へ踏み出す。
 だって、彼はアタシの数歩先にいるのだから……!

「あのね……ゴメンッ!」

 アタシは彼の数歩後ろで、頭を下げた。

「アタシ、貴方に甘えすぎてた! 貴方に甘えてばかりで、ちっとも成長してなかった」
「貴方はアタシのために色々変わってくれたのにっ」
「だから、アタシも変わる。貴方と同じ目線で、同じ世界が見たいから」

 彼は何も言わなかった。
 ただ、一言『頑張れよ』と言い残して、帰っていった。





 3ヵ月後……
 彼はアタシの隣で笑っていた。

 でも、彼の左袖は相変わらず伸びている。



Copyright © 2007 佐々原 海 / 編集: 短編