第60期 #29

藻屑

 私は四角い部屋にいる。
 壁沿いに一周してみると縦にも横にもちょうど七歩で、見たところ高さも同じくらいのようだから、この部屋は正方形ということになる。部屋には入り口も出口もなく、カーテンの引かれた窓がひとつあるだけで他には何もない。天井にもどこにも光源が見当たらないにも関わらず視界が保たれているのは、もしかしたら部屋自体が発光しているのかもしれない。
 窓に近づきカーテンを捲り上げる。辺りは暗闇に包まれていて、ただこの部屋のほの白い光だけが外の狭い空間を照らしている。光の中には奇妙な生き物が浮かんでいた。先が分かれた触手を生やした流線型や、ひらひらと体を波打たせながら泳ぐ薄っぺら、ひしゃげた口を大きく開いた阿呆面、蛸のような吸盤で窓に貼りつく軟体、どちらが頭か見分けがつかないアルビノの蛇。さらに眼を凝らしてみると、何もないと思われた場所にも透き通った昆虫のような生き物が無数にひしめいていた。図鑑でしか見たことないような、あるいは図鑑にすら載っていないような深海の異形の魚たち。そうか、ここは海の底なのか。静寂と暗がりの世界だった。
 そのまま見ていると魚たちはゆっくりと漆黒の向こうから光の領域へ集ってきて、何か言いたげな顔で部屋の中をぼんやり眺めていた。光が珍しいのかとも思ったが、その目線をひとつずつ辿ってみて私は背筋が凍りついた。魚たちが見ているのは私だった。私の瞳を見つめているのだった。
 その事実に私が気付くと同時に魚たちは行動を開始した。はじめはそっと触れるように、しかしすぐに激しく叩くように窓を突付き始める。こつんこつん。見る間に視界を埋め尽くすほど窓に群れ、今にも窓を打ち破るほどにこつんこつんと、こつんこつこつごつごごつっごつごんっごんごんごんと。
 堪らず私は一歩後ずさった。カーテンが手から滑り落ち、再び窓は覆われる。手がぬらぬらと光を照り返していて、てっきり私はひどく汗をかいているのかと思ったが、よく見るとそれは汗でなくまるで何かの粘液のようで、顔に近づけると生臭い潮の匂いがした。先ほどまで私が掴んでいたものはカーテンではなかった。風もないのに静かに揺れるそれはワカメだった。ワカメがぶらさがっていたのだ!
 窓を突付く硬い音にぴきぴきと耳を掻く高い音が混じる。ああ、もうすぐ窓が割れるのだ。
 私は力いっぱいワカメを引きちぎって食べた。むしゃむしゃ食べた。海の底で。



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