第60期 #28

ごっつぁんです

 僕と加奈子ちゃんの前には史上最強の横綱が立っていた。一時期角界に吹き荒れた外国人力士旋風を食い止めた国民的英雄。横綱になってからは殆ど負けていないし、まだ一度も転がされて負けたことがない。王子様ブームに中途半端に乗っかった相撲協会が、仁王様というキャッチフレーズを浸透させたがっているようだけど、どうもイマイチ受け入れられていないみたいだ。
「加奈子ちゃん」
 呼びかけて見つめる。顔をゆっくりと近づける。
「ダメ。横綱が見てるもの」
 加奈子ちゃんがはずかしそうにうつむく。
「横綱が見てるとキスしちゃいけないというルールでもあるの」
 僕は食い下がった。加奈子ちゃんは黙ったままだし、横綱はこっちを向いて相変わらずの仁王立ちだ。僕はなんだか横綱が憎らしくなって、遠慮がちに睨んでみる。
 せっかくの初デート。映画を見てご飯を食べてカラオケに行き、川沿いをぶらぶら歩いた後、星空の下の児童公園でキスをするという段取りは、途中まで完璧だった。むしろシミュレーションを上回る好成績だったといってもいい。でも最後の最後でベンチの前に史上最強の横綱が立っているなんて全くの予想外。状況としては最悪だし、桁違いに高いハードルだった。
「僕だって横綱のことは尊敬してるし、できればキスしてるところを見られたくない。ファーストキスの思い出に横綱が介入することを避けたいのは山々だ。だけど今は加奈子」
 不意打ちだった。猫だましのキスが僕の唇をチュッと奪う。その瞬間、横綱はどぅと倒れて仰向けになった。天を見上げて手足をバタバタさせている。ひとりじゃ起き上がれないのかなと思うとなんだかとてもおかしかった。加奈子ちゃん(技のデパート)もクスクス笑っている。
「ルールなんてないよね」
 大金星。僕と加奈子ちゃんは、せーので横綱を立たせてあげた後、泥だらけの背中に手刀を切る。そして、さっきよりちょっぴり長めの、本日二度目のキスをした。



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