第60期 #23

保険金詐欺とばれて親指も保険金も失った春に

 全き素寒貧となったので、裏庭に放してある兎を売る事にした。片耳に切れ込みのある藁灰色と、全体が榛色で脚先だけ白いのと、黒くて長い毛がまだらに抜けているやつ。3羽。

 駅前へ。
 段ボール箱のふたを開いて兎をひとなでし、段ボールの切端に『かわいいうさぎ1羽6万円也』と書いて立て、段ボールを尻に敷いて座ろうとするや否や、誰に断わって商売しとんネやと呟きながら刺青人間およそ4匹が寄って来たので、慌てて兎を上着のポッケにねじ込み逃げ出すはめになった。
 駅舎内を疾駆、自動改札を飛び越した刹那、背後で若い女性のものと思われる悲鳴があがった。おそらく奴等に捕まったのだろうが、振り返って確認する余裕無し。丁度ホームに入って来た列車に行先も確かめず飛び乗った。
 刺青人間に捕まったら、然るべき届け出をし正当な手続きをふんで商売していようがいまいが仲間にされてしまう。誰に断わって商売しとんネやという呟きは、質問ではなく、単なる鳴き声なのだ。その場に押さえつけられ、僧帽筋の辺りから上腕三頭筋を通り、前腕屈筋群にかけて刺青を彫られる。無論、好きな絵柄は選べない。ああ。奴等は兎といえどもきっと容赦なく刺青を施すだろう。丸刈りにされてもひと声もあげずに、目を潤ませて非道な振る舞いに耐えるだろう。チクチク皮刺す針の動きの倍速で鼻をスピスピさせて耐えるのだろう。うう。耐え難い。俺の事はいくら馬鹿にしたって構わない、だがな、兎たちの事は…!

 その後うまいことに、車内で兎が2羽売れた。
 蒼白汗びしょのうえに何やらつぶつぶ言っていた私を訝しがりもせず、滑らかに近づいて兎を買ってくだすった自称金融業のお兄さんありがとう! お目が高い。貴公は沈思黙考、おもむろに榛色のやつを指差しましたね。
 その様子を見ていてか、私にも1羽と毛抜けのをお買い上げあそばされた御婦人もありがとう! そいつぁ見場は悪いが情深い仕種のできる可愛いやつですぜ。あ、今晩のシチューになさるんで。確かに喰ってもうまいでしょうなあ。
 といったようなやり取りを経て御足を頂戴し、空いていた座席に座ると、ようやっと人心地がついてそのまま微睡んでしまった。

 結局体力が回復するまで4時間近くかかった。時計を見ると6時半になる所だ。窓外には見知らぬ世界。アナウンスが告げる次の駅も聞いた事がない。
 
 懐に残った藁灰色がふるふると震え、震え続け、列車は停まった。



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