第60期 #20
白い病室の中。
目の前には彼女がスヤスヤと眠っている。
白い治療着と、酸素ボンベを付けて、スヤスヤと穏やかに眠っていた。
こんなに長く彼女の寝顔を見つめたことはない。
「一ヶ月か……。いつまで待たせるんだ、この眠り姫」
マスクのように口元を覆う透明なガラスが憎々しい。
お目覚めのキスができない。
ベッドの隣の丸椅子に座り、白くて柔らかく、なめらかな彼女の手を握った。
真新しい指輪が薬指に光り輝いていた。
「戻ってこいよ。お前、立派な看護師になって……いっぱい人を助けるんだって言ってただろ」
彼女の手は温もりがあるだけだ。
「いつまで寝てるんだよっ……」
彼女の顔を見ていると、一緒にデートした日々を思い出す。
おいしかった食事、楽しかったアトラクション、そして語り合った夢と将来。
記憶が鮮明になると引き換えに、目の前の視界はぼやけてきた。
まだこんなに暖かいのにっ!
まだこんなに綺麗なのにっ!
まだこんなに元気なのにっ!
「認めない! 俺は絶対に認めないっ!」
── だ が 、 彼 女 は も う 目 覚 め な い
心の中の誰かがそう呟く。
だけど、今、
『 コ イ ツ は 俺 と 共 に あ る っ ! 』
違うか?
俺は強く叫び返した。
空しかった。
俺のサイフの中には彼女の意思が入っている。
顔も知らない他人を救うためにある、天使の絵が描かれたカード。
俺がこれを渡せば……もしかしたら救われる人がいるのだろう。
これを破れば、もっと共にいることができる。
しかし、それは永遠ではない。近い将来、確実に訪れる別れがあった。
<助かるかも知れない命と、助からない命……君ならどちらを救う?>
医者の言葉が脳裏をよぎる。
<そんなのは簡単だ>
けれど、今は違う。
最愛の人を失う選択を自ら選ぶなんて、俺にはできない。
俺はすやすやと眠る彼女の顔を見つめた。
「苦しんでいる人が1人でも減ればいいね」
不意に思い出された彼女の言葉。
その優しさは残酷だ。
空っぽになった病室で、俺は彼女を裏切れなかったことを後悔する。
俺の手には天使の絵が描かれたカード。
「お前さえいなければ、俺はもっとアイツと共にいれたんだ」
俺は、天使を引き裂いた。
微笑みを浮かべた天使は粉のように小さくなっていく。
それを窓からばらまくと、風に乗ってふわりと飛び散った。
ありがと──
ふと、彼女の声が聞こえた。