第59期 #3

ビーアグッドサン

 こんなにもじっくりと母の顔を見たことは今までなかったかもしれない。四日前、母が死んだ。
 今日は母の葬式。親不孝ばかりしてきた俺も、さすがに感傷的になる。結局俺は母さんに恩返しひとつできなかった。本当にだめな息子だよ。
 そんな反省モードの俺を嘲笑うかのごとく、おもむろに股間がうずき始める。おいおい、勘弁してくれよ。じっとしていてくれ。股間だけに届く程度の小声で懇願する。その時だった。「立派ね」突然声をかけられて少し取り乱した俺は、思わず股間に手をやった。声の主は従姉の真衣姉ちゃんだった。
「落ち着いて立派に喪主として振舞っていた健史はえらいよ。私には真似できないな」
 なんだそっちか。赤面した俺を見て勘違いしたのか、真衣姉ちゃんが俺の頭を撫でながら冷やかし気味に言う。
「照れるなって。健史がこんだけ立派に成長したならおばさんも一安心だね。きっと天国でおじさんとのんびりデートを楽しみながら健史のこと見守ってくれるよ」
 俺は無理やり笑顔を作る。優しい言葉をありがとう。でも天国で父さんに母さんが会うことはないと思うんだ。なぜなら、父さんは今、俺の身体に宿っているから。


 父の葬式の日。泣きじゃくる母を支えながらお骨を拾って一段落ついた時だった。突然股間に違和感が生じた俺は戸惑いながらトイレにかけこんだ。そしてズボンのファスナーを下ろし、しょぼくれたペニスをつまみだした瞬間、「よぅ、健史」と父の声がしたのだ。
「ごめんな健史。父さんなのにムスコに宿っちゃって」
 悪い夢なら覚めてくれ。何度思ったか分からない。でも、現実だった。現世に未練たらたらの父は、天国に行くことを拒み、とんでもない場所にしがみついたのだった。


 火葬が終わり、訪れた母との別れの時間。母の最期の姿が気になるのか、ズボンを突き破りそうな勢いで伸び上がろうとする父をなだめながら、俺は不思議な感覚が身体に宿るのを感じた。何だか覚えのある感覚。
「お父さん」母の声が聞こえた。
「房江、お前」
 股間の父が喜びの声をあげる。
 母さん、あなたもか。軽い眩暈を覚えながらも、俺は親孝行のチャンスをもらったことを知った。わかったよ、父さん、母さん。俺はもううんざりするぐらい親孝行するよ。よし、今日から忙しくなるぞ。
「お前も健史の身体に?」
 本当にうれしそうだね、父さん。
「ええ。お父さんに何度でも会えるようにね」
 悪戯っぽく右手が笑った。



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