第59期 #24

こわい話

 トイレの話をするわ。
 私が東京へ出てきて最初に暮らした部屋は、阿佐ヶ谷で1K家賃3万のアパートだった。アパートといっても大家さんの敷地内に建てられた離れの2階、201と202しかないような小さな建物で、202は大家さんが物置に使っていたから実質住人は私だけだった。お風呂はついていなかったけれど、すぐ近くに銭湯があったし、東南角地で風通しも良く、大家さんもすごくいい人だったから私はその場で決めた。アパートの外階段からは新宿副都心が見えて、東京で暮らしているんだなあと実感したものよ。こうして私の東京暮らしは順調にすべりだしたように見えた。
 このアパートのトイレは小さいながらもとても綺麗にしてあった。古いアパートにありがちな和式のトイレだったけれど、ちゃんと磨かれていてタイルもピカピカ。難を言えば少し狭かったけれど、そんなことは気にならなかった。実際に使ってみるまではね。
 あなた、狭い和式トイレって想像つくかしら?便器を跨いで座ったとするわね、そうすると鼻先ギリギリにタンクがあるのよ、まさに目の前。うっかりしたら頭をいやと言うほどタンクにぶつける破目になる。だからどんなにあわてていても、自分がしゃがんだ時にタンクへ頭をぶつけないよう気をつけなければいけない。そうかと言って少しでも後ろへ行こうものなら、ひっくり返る事になる。足を後ろに下げるスペースは無いのよ。要するにすぐ後ろはドア。残念ながらドアノブは少し壊れていて、鍵がうまく掛からないからちょっと押すと開いてしまう。私の言っていることがわかるかしら。例えば、タンクをよけようとしてちょっと体を後ろに反らした瞬間、運悪くバランスを崩すと体ごとドアにぶつかってしまう。さらに運が悪いとドアは開き、私はその情けない格好のまま、玄関に投げ出されてしまう。というのも、トイレは玄関のすぐ脇にあったから。玄関は昔ながらのコンクリートのたたき。そのまま後頭部からたたきに落ちたとしたらどうなるかしら。打ち所が悪かったら私の意識がなくなるでしょうね。まさにかえるをひっくり返したような体勢のまま、私は誰かに発見されることになるわ。
 どうしたの?これが怖い話かですって?そうね、あなたにはわからないかもしれない。
 けれど恐怖って大概、他の人には取るに足らない、くだらないものだったりするの。そしてそういう恐怖に、人は簡単に捉えられてしまうものなのよ。



Copyright © 2007 長月夕子 / 編集: 短編