第59期 #15

ガラスの瞳

 物心がついたとき。記憶の始まりは額にキスされた瞬間からだ。それまでの記憶は断片的で、曖昧なままだ。額にキスをした彼女は、持ち物のほとんどを手放すときに、様々なものに生命を与えた。その瞬間こそが彼女の絶頂期だったのだろう。 今どうしているのか、噂の一欠けらさえ、私の元には入ってこない。それから後に見た景色は、彼女のところにいたときと比べると明るい。
太陽のにおいがする子供たちと、一緒に散歩へ行ったりもした。
子供の右手に私の・・・・・・人間流に言うと左手を繋ぎ、芝生の上を走った。青い空に、どこまでも広がる緑色。子供の笑い声を聞いた。あまりにも子供たちが私ばかりに懐くので、犬のライはやきもちを妬いたりしたものだ。しかし、ライと私の生はあまりにも違う。老いるのが人よりも早いライは、物事の悲哀というものを噛み締めるようになったと言い、それから私たちは良き友となった。
 人を見上げてみる視点のライと、人と同じかそれより高い位置に置かれることの多い私の視点の違いは面白いものがある。子供たちが大きくなると遠く感じるようになるというライに対し、私は子供たちの表情が大人びていく様が、早いと感じる。

 子供たちも大きくなり、ただの飾りと化したテディベアの私を
一番気にかけていたのは、3人の子供のうち、一番早くに生を受けた子供だった。彼の産まれたお祝いに、私はこの家に来た。そのせいもあるのだろう。年頃になった彼は誰もいないところで、私の額を小突き、何気ない一言をくれたりした。
 彼がこの家を出た数年間も、私はこの家にいた。ただ、ひたすら何もなく、一度置かれる場所が変わったくらいで。
 結婚することになった彼は、私を連れに戻ってきた。もっとも、私はついでだろうが、私を持っていくことを何気なく、しかし有無を言わせず家族に伝えた。
 元々、私は彼のものだ。彼の祖父が彼の祝いにあげたものなのだから。
「子供ができたら、子供に渡すべきか迷っている」
 車に目一杯荷物を積み、新居へ向かう道すがら彼は言った。私はその荷物の上にちょこんと座っている。
「ただ、昔から家族を自分が持ったときは連れて行くと決めていたんだ」
 それきり、彼は喋らずカーラジオをつけた。
 生命の終焉はお互いそう遠くないのかもしれない。ただ、許されるのであれば、私はまだ共に彼といたい。



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