第59期 #10

月はただ静かに

 ようやく日が西の地平に沈み、月が東の海上に姿を現した。日の高いうちは海水浴場であり、水着姿が思い思いにシートを広げていた砂浜は、今度は花火大会会場となり、浴衣姿がやはり思い思いにシートを広げていた。開始時刻が近づいて日の残光が失せ、砂浜を彩っていた浴衣姿は色を失い、目に映るものはまだ海面からそれほど離れていない高さに浮かぶ月と砂浜のそこかしこに浮かぶ蛍のような光ばかりとなった。蛍のような光は、浴衣姿が友人との連絡などに使用している携帯電話のものだろう。
 遠くから大会開始の放送が流れ、花火大会が開始した。漁港の先端で打ち上げられた花火が、色を失った浴衣姿に見せつけんばかりに海上に大輪の花を咲かせた。砂浜でそれを見る観客には、光と音だけでなく、破裂の衝撃や火薬の匂いさえも感じることができた。赤、青、黄、緑、桃色などのさまざまな色の光が、あるいはまっすぐ飛んで一瞬で消え、あるいは枝垂れ柳のように残り続けて海面に落ちていった。中心点から球状あるいは放射状に大きく飛ぶ光、二段階の破裂によって随所から不規則な方向に飛ばした光、あるいは魚やクラゲの絵などを描いた光などが、次々と舞った。また、笛が仕込まれているものや第二段の破裂を細かくすることで爆竹のような音をさせたものなどもあり、光だけでなく発せられる音までもが観客を楽しませていた。そして連続して放たれたそれらが織り成す総体が、夜空のキャンバスにひとつの作品を作り上げていった。観客は一様に、月よりも高いところで作り出されたその芸術を、首を上げて眺め、あるいは携帯電話などで撮影していた。
 やがてすべての花火が打ち上げられ、大会終了の放送が流れた。広い砂浜にはどの程度に観客が散らばっていたのか、拍手の音はまばらだった。しかしそこにはどれほどの観客が詰めかけていたのか、駐車場へ向かう浴衣姿の列はがやがやと賑やかで、長く混雑していた。当然に駐車場から出る自動車の列も、いつまでも進めずに列を成した。道路を彩った自動車のランプは花火よりも明るかったが、その不整然さは花火のようには美しくなかった。そのランプに映し出された浴衣姿の雑然とした列の方がまだ美しかったが、それはいつしか駐車場に吸い込まれて消えてしまった。
 月はそれを、花火よりもまだ低い場所から眺めていた。もう誰も見上げることのない空を悠然と、花火よりもずっと高く上がろうとしていた。



Copyright © 2007 黒田皐月 / 編集: 短編