第58期 #8

4minutes silence

「それで義理の父親から薬を飲まされていたと?」
「ええそうです。引き取られてからすぐにそうするように言われました」
「どうしてそんな得体の知れない薬を断らなかったのですか?」
「当時の私には若干自閉症的な傾向があったようです。9歳でしたが当時の事を思い出しても言葉を発したという記憶がありません。そんな私を迎え入れてくれた義父はとても優しく接してくれました。私は口数こそ少なかったのですが義父に悪い印象は持っていませんでしたし私のような人間に適した薬だから毎日飲むように言われて特に断る理由もありませんでした」
「その薬を飲んで貴方自身何か感じることはありましたか?」
「特に何も感じませんでした。私は言われるままにその薬を15歳まで飲み続けました」
「15歳の時に飲むのを止めたと?」
「ええ。義父がもう飲まなくていいと言ったからです。それで私は飲むのを止めました。その頃にはもう私も人並みに冗談なんかを友達と言い合うようになっていました。ある日のことです。鞄の底にその錠剤が一粒残っているのを見つけました。義父から毎朝薬を貰っていたので何かの拍子で私が昼間に学校で飲むのを忘れてしまっていたのでしょう。そこで何か私の中に好奇心が芽生えました。ちょうど友達が頭痛を訴えていましたので私は保健室で貰ってきたと嘘を付いて彼にその錠剤を飲ませました。私は授業中ずっと彼の様子を伺っていましたが何ら変わったこともなく昼休みに彼から頭痛が治まったと礼を言われました」
精神科医はじっと私の話に耳を傾けている。人の話を聞き続けるというのは大変な労働だ。
「午後の数学の時間でした。気持ちの良い風が開いた窓から教室に入ってきて私はうつらうつらしていました。突然の悲鳴に目を覚ますと先程薬を飲ませた友達が教壇にいて傍らに倒れて痙攣している教師の右目にはシャープペンシルが突き刺さっていました」
「つまり貴方はその薬が友達の狂気を喚起させるトリガーとなったと?」
「私には何とも言えません。でもあの時の友達の顔がまるで彼自身ではなかったということが先日の私ではない私自身の姿に符号しているようで奇妙なのです」
煙草を吸っても良いかと訊ねるとちょうど私も吸いたかった所ですよと精神科医は銀製の鷲を模した重厚な灰皿をすすめる。4分間の沈黙。まるで何かの荘厳な儀式のようだ。
精神科医が長い溜息を付く。それは性交の後の心地よい柔らかな風に似ている。



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