第58期 #14

晴雨

 彼はこの世に生を受けたときから光というものに全く縁がなかったから、光が一体どのような形状をしているのかを知らない。
 光だけではない。彼はこの世のあらゆるものの形を知らず、また色というものの意味をも知らない。
 
 ところで彼は全盲であるが、白状を持てば一人で外出することができる。家族や友人は心配してくれるが、彼の日課は散歩である。
 今日もまたいつもどおり夕方の散歩に繰り出した。



 あまり人通りの多くない道を自分のペースで歩く。
 
 いつもの道を歩いていると、不意に身体ごと何かにぶつかった。
 
 勢いはそれほどでもなかったが、思いの外よろけてしまった。
 
 そのひょうしに白状を落とした。
 
 何にぶつかったのか把握できず、よろけたために方向感覚を失い
 
 戸惑っていると、声が聞こえた。
 
 ぶつかったのは通行人のようであった。
 
 声からしてまだ若い男のようだ。

 男の動く気配がし、詫びの言葉と共に両手に白状を握らせてくれた。
 
 そして男はどこへ行くのかを尋ね、道案内をさせてくれと申し出てきた。
 
 散歩なので大丈夫だと丁重に断ると、男は申し訳なさそうにそれならば、と言った。

 男は彼の向かっていた方向へ導くと、別れ際にこう聞いた。

「まだ雨は降りませんか。」

 私は人よりも湿度に敏感ですが、今のところその気配はありませんよ。

 そうですか、と言った男の声音は落胆にみちていた。

 男がぶつかったことに対する詫びを再び述べるとその場を去っていく足音がした。

 何かいけないことを口にしたかと考えながら、彼は再び歩き出した。

 家へ帰るころには、男のことなどすっかり忘れていた。


   狐は晴れた雨の日に嫁入りする
   狐たちは晴れの日に雨が降らないかと
   それはそれは気を揉む
   待ちきれないものなどは人に聞いてまわる

   雨降る晴れた日は 狐の嫁入りする日




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