第57期 #7
白いキャンバスに、一筋、色が加わる。
真白の中に一際目を引くライトグリーンの線は、平衡のようで、不均衡な太さでキャンバスを駆け巡る。1本。2本。3本。線は瞬く間に増えていった。
彼は一心不乱にキャンバスを緑で埋めていく。彼の指は緑の絵の具の所為で鮮やかに染まっていた。
彼のそういう姿を見ているのが、私は好きだった。
夕日が教室の窓から差し込むと、緑のキャンバスは光を反射して輝いた。
キャンバスを駆け巡る緑の指は、毎日、15本の線を描いてその役割を終える。
彼は私が見ているのを特に気には止めていないようだった。
彼が初めて赤い絵の具を使っていた。
ライトグリーンのキャンバスが、真っ赤な鮮血で染められていくようだった。
彼の指は、もちろんその色で染まっていた。
部屋には誰が用意したのか、ラベンダーの花がたくさん飾ってあった。
そのせいだと初めて気がついた。部屋はとても素晴らしい香りに包まれていた。
赤色は、次の日にも使われた。
もちろん緑も使うのだが、やはり赤の色の強さは明快だった。
ズル、ズル、と指がキャンバスを這う音が耳に入ってくる。
赤が7本、緑が8本引かれた。
彼が入院した。
異常に体内の血液が欠落していたため、貧血を起こしたのだそうだ。
それでも私は、彼のキャンバスのもとへ向かった。
いつものように、椅子に反対向きに座り、背もたれの上に顎を乗せ、キャンバスを眺めた。
私は、あることに気がついた。
指を水に浸し、十分に湿らせてキャンバスにつけてみた。
ヌルリと指が滑った。赤色に染まった指を、口元へ運んでいく。
舌先で、少しなめてみた。
私はすぐさまトイレへ駆け込み、盛大に吐瀉した。
なめたものの味など、問題ではなかった。
今私の目の前に、彼が絵を描いていた時の風景が広がったのである。
彼は、赤い絵の具など、最初から使っていなかった。
結局-----2年経ち、彼と私が卒業しても、その理由を聞くことはできなかった。
私は、彼の秘密を1つ握れただけで充分であったからだ。
彼の左の人差し指は、第一関節から上が欠如していた。
もちろんそれは緑のキャンバスに、他の色を付け加えたからである。
私は卒業する際、彼に右手の人差指と親指を見せてもらった。
絵の具で染まった、鮮やかな緑色であった。
緑の指の彼を、私は一生、忘れない。