第57期 #22

紫陽花の唄

男が歩いている道に紫陽花が咲いていた。まだ蕾の色は薄緑色をしていて(これから暑くなってくるな)と男は思った。

道はどこまでもまっすぐであった。アカシヤの花にミツバチが集まっている。ミツバチはぶうんぶうんと羽音を鳴らして男の周りに集まってきた。男は立ち止まってじっと待った。ミツバチは男が敵ではないと知ると、まもなく去っていった。男は歩きだす。

少年と老婆がはいつくばって探し物をしているのに遭遇した。「ピースを探してるんだ」少年は言う。「パズルのピースを探してるんじゃ」と老婆が繰り返す。道は広大である。(どこにピースがあるというのだ)と男は思う。

雨が降り出した。男は自分の折りたたみ傘を老婆に差しだした。男にできることはそれくらいしかなさそうであった。男は歩きだす。「ばあちゃんあったよ」と背中で声がする。少年はピースをひとつみつけたのである。

紫陽花が白、あさぎと色をかえはじめた。男は立ち止まって花を愛でる。ハイヒールがよく似合う妙齢の女性が立っていた。女の足元にイボガエルが集まっている。男は近づいて蛙を追い払ってやった。

「ありがとう」

女はそう言ってハイヒールを脱いだ。靴底に一枚のピースがあった。「お礼にあげるわ」
男はピースを老婆と少年に届けたく思うものの、前進する。

(あなたはどこへ行こうとしているのですか?)

声がする。声は男の内側から聞こえてくるようで、それは若い女の声でもあった。男は立ち止まる。ベンチがあった。ベンチに座ってもう一度、声の響きに耳を傾ける。男の目の前に一匹の巨大な鮎が横たわっていた。

「私に迷いはありません。ただ進んでいくだけです」

男は答えた。

(それならあたしを食べなさい)

巨大な鮎は鮎の串焼きと変わっていた。男は両手で串をかかえ、それを食べながら進むことにした。アオバズクがやってきてホッホーと鳴いた。駒鳥がヒンカラカラ、ヒンカラカラと鳴いた。鮎の肉をむしって投げてやった。鳥たちは喜んでそれをついばんで飛び去った。

紫陽花が藍色、瑠璃色と花のまりを大きくしながら色変わりしていった。雨は滝のように降り始め、鮎の肉もわずかとなった。男の身体は弱りきり、体力もなくなってきた。

海がみえた。ついに道の終わりにたどりついたのだ。砂浜に落ちている小瓶を拾った。その中にピースを詰めて栓をした。小瓶が潮の流れにのって水平線に消えていくのを見届けて、男は目を閉じた。南風が吹いていた。



Copyright © 2007 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編