第57期 #18
どうしようもない心臓をもてあまして、博士に聞いて解除passを教えてもらおうと思った。
博士は多忙があたぼうな人なのでどうにもつかまらない。人は、あきらめなければいつかつかまるとか、歩いてこないんだから歩いてゆくんだよとか、寝て待てとか、見つからなければ自分で作るんだとか口々に勝手なことを言うが、良く晴れた2112年の朝にトイレで脱糞しているところをつかまえた。やはり高い意識を持って毎日の所作に当たることが自然と自己の向上に繋がっていくのだとこの時ばかりは思った。
「博士、どう? 最近」
博士は脱糞しながらなおかつ食事を採り、それでいてネットワークサーチもでき、おまけに装甲を整備しながらさらに左脇毛抜き占いまでもができるという流石の高機能を誇っていたが、それらの全てを放り出して放心するという荒業を度々行うこともやぶさかでない様子だった。
「イシワタリサン、丁度イイ所ニイラッシャッタ」
私の名前は断じて石渡でも胃死倭汰痢でもなかったが、そこは初等教育システムにおいてもいちはやくあらゆる意味で集団を脱してしまった博士のことだ。私をイシワタリと呼ぶにしても彼には何もかも分かった上で、それでも私が、「イシワタリ」に違いないと判断したのだ。詰まるところ私は真実さにおいては俄然イシワタリサンなのだ。
「博士心臓のことで……」
「ソレニハ及ビマセン」
話が早い。博士によると、私の心臓のこの所のどうしようもなさは決して危険なウイルスによるエラーではなく、私の生機構の一過程に過ぎないと言うことだ。
「”恋”デス。心配ハアリマセン」
これが恋と言うものか。しかし苦しい。手っ取り早くワクチンを投入することは出来ないのかと私は尋ねた。それには答えず博士は言った。
「イシワタリサン、ワタシジツハ“ゲイ”ナンデス」
ショッキングなニュースと言うものもこの頃は殆ど絶滅寸前になっていて、新たに「自分はショックを受けているんです内心は。でもそのことがあなたに悟られるとあなたは心を閉ざしてしまうかもしれないから、だから私は自分のショックを隠して表面は穏やかに、水も揺らさぬ様子を示してるんですよ」という名のアバターが公開されたほどだ。
鋭い色をした博士の眉は嫌が応にも美しかった。まだ見ぬ地平を見た、と彼らは思った。カミングアウトとはよく言ったものだ。気が付くとそばに塁審が控えていて、高らかに親指で天を指していた。