第56期 #25
西の帝国の軍勢が迫り王国が滅亡の危機に瀕したその夜、王の枕元に悪魔が立ち囁く。
――いかなる災いをも阻む絶対の守護を。
誘言に惑わされる愚王ではない。王は問うた。
――代償は。
――貴殿の娘を貰い受ける、哀れな姫が十五になったその晩に。
王は決意した。悪魔は知らぬのだ。生来病弱だった王女が治療の甲斐なく一月前に世を去った事を。王の子は姫の弟である王子のみ。
悪魔は契約を得た。
宰相は戦慄した。世継を希求する王を慮り王子として育てられていた子は真実王女だったのだ。
国中から法師術師を呼び集め策を乞う宰相に一人の老師が告げた。
――新月は時の濁る夜なれば、如月は朔に生まれし姫は時の魔力を繰りましょう。
師の言葉通り王女は類稀なる才を魅せ、齢十五を迎えようとする暁には時換の法を修めるに至る。
儀式が行われた。王女は再び十四へ還り、誕生の日付を正しく一年異にする侍女は十四を経ずに十五となった。
永い環の始まりだった。
五百年が過ぎた。
帝国は既に滅び跡に幾つもの王朝が興っては消えゆくその間、王国はただひたすらに凪いでいた。悪魔の守護ゆえ外敵を寄せ付けず、半千年紀に及ぶ為政のうち女王が比類なき賢政を学んだがゆえにかの国は不滅だった。
氷風に民草が身を潜めていた或る冬、一人の旅人が王国を訪れる。遥か東国より辿り着いた賢者である。
王城の戸を叩いた稀客に女王は問うた。
――時の環を断ち切る術やある。
対面する者へ例外なく投げ掛けてきた問い、それはしかし実に百余年ぶりの余韻だった。
――是。
賢者は答え、しかし容易には真理を明かさなかった。
――王において永遠とは見果てぬ夢、国において安寧とは得がたき宝。定められし道を失えば民は惑い血の流れるは必定。貴国は既に永遠と安寧を享受し繁栄を謳歌しているにも拘らず、聡き王は破壊を望むのか。
――是。
女王は宣う。
――史とは手から手へと伝え綴られるもの、国とは網の目の如き大河の流れ。王は船頭であって水神ではない。混迷と流血の後に民は識るだろう、人が命を紡ぐその意味を、時を織り上げるその意味を。
賢者は頷き、先導者たる女に解を与えた。
――呪いとは正しく言葉の契り、悪魔といえども定めを覆すことはできぬ。契約は一字一句違わず履行されねばならぬ。
儀式が行われた。齢十六を迎えようとしていた街娘は王の時を得て十五へ還り、女王は十五を経ずに十六へ至った。
小さな王国は、再び小さな歴史を歩み始めたのである。