第56期 #20

青いペンキじゃなかった

 新聞を床に広げて、貼り付いた言葉をひとつひとつ丁寧に剥がし取る。「本日」「むき出しになっている建築物」「膨らんで」「回る」。今日も世界では様々な出来事が起こっている。
 階段を駆け上がる音。
 「プラズマ」「すでに」「得た」。ふむふむ、と僕がしたり顔で頷いていると、ナオ太が勢い良く部屋に飛び込んできて、
「インコを青く塗ろう!」
 開口一番にそう叫ぶ。
「なにそれ」と僕は訊ねる。
「エヌさんのところでそういう映画を観たよ。青く塗って、チョコレートでできた爆弾を齧って」
「何ていう映画?」
「なんだっけ。詩が、海が、太陽が、ええと、それから、赤い車が」
「変なの」
 ナオ太の言葉は新聞に書いて無くて、ナオ太の行動は僕には未体験だった。だから、ナオ太と一緒にいるのはとても刺激的だ。
「ペンキ買ってくるからインコを外に出しておいてね!」
 そう言って、ポケットから飴やらネジやら撒き散らしながらナオ太は部屋から出て行った。
 りんご味の飴があったので拾って舐める。新聞を丁寧に畳み、ネジで壁に留めておく。
 鳥篭の扉を開けるが、遠慮しているのかインコはなかなか外に出ようとしない。餌で釣ろうとしても見て見ぬふりだ。小首を傾げて興味が無いのを装ってはいるが、本当は思わず鳴き声が洩れるほどこの餌が好きなことを僕は知っている。外に出るのが怖いのかもしれない。
 仕方なく鳥篭に手を突っ込んで無理矢理外に追い出しても、部屋をひと回り飛んで再び鳥篭の中に戻ってしまう。
 そんなことを繰り返しているうちに、ナオ太がブリキの缶を手に帰ってきた。
 ナオ太は力いっぱい蓋をカポッと開けると、
「あれえ、このペンキ青くないや」
 中を覗きこんで素っ頓狂な声をあげる。
 僕も覗き込む。透明できれいなものが詰まっている。
 指に取って光にかざすとキラキラと眩しくて、思わずうっとりしてしまう。こんなに透明できれいでとろりとしたものがあるなんて。
「あ、これ甘いよ!」
 見ると、ナオ太が指で掬って舐めている。
 自分の指を舐めてみて驚く。本当に甘い。美しい上に甘いこの液体を、僕たちは無言で舐め続けた。

「そういえば」
 ふと思い出す。
「僕も読んだことあるような気がする。青く塗った鳥が出てくる話」
 確か、あれはハッピーエンドだったな。まるで今日みたいに。インコは青くないけれど僕たちは幸せだった。
 壁の新聞から言葉を拾う。「明日も」「おめでた」。きっとそうだ。



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