第55期 #6

無題1.txt*


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 あ。
 気付いた時には、遅かった。ヤバイ。けっこうな量の文章を書いて、一息吐こうと保存しようと思い、エディタのファイルの保存を選択した、と思ったら。手元が狂ってファイルの「閉じる」を選択し、そのまま「いいえ」をクリックしてしまった。気付いた時にはもう手遅れ、今までの血と汗と涙の結晶が、全て、消えてしまっている。
 主人の心理等素知らぬ風に、無常にも壁紙と無造作に並べられたアイコンを映し出す画面を、手近にあったテレビのリモコンで壊したくなる衝動にかられたが、パソコン自体が高価な代物な故、思い止まった。

「ご飯だから、降りて来なさい」

 部屋の外から、覇気の無い母親の声が聞こえた。
 もう、何日もこの部屋から出た事が無かった。母親は一応、私に声をかけた後で、何も言わない父と、一緒に静かな食事をするのだろう。私のせいで、母と父は冷戦状態らしい。
 もう一人、家族が居たような気がするけれど、今はどうなっているか知る由も無かった。こちらとしては、別に知らなくても支障は無いけれど。
 私はもう一度、画面を見る。そうしてまたエディタを立ち上げた。

「さて、次はどんな家族を作ろうか」

 私はエディタに向かって、理想の自分と、理想の家族の様を書き上げていく。それが私の唯一の楽しみであった。
 今の物語の主人公とその家族の設定は。
 明るくてクラスで人気のある主人公。そんな主人公を頼りにしている弟。優しい父親。料理が上手い母親。周囲からも羨むくらいの、理想の家族。
 それを保存した所で、私の願いが叶う事は無いけれど。今日で終わりにしようと思う。これ以上、続けても無意味だろうから。


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 ある家の、部屋の中で女の死体が発見される。女は自殺と断定され、死後三日は経過していた。第一発見者は母親ではなく、彼女の姉であった。
 女の部屋にあるパソコンの電源は入れっぱなしで、画面には彼女の遺書とも取れる文章が発見されたが。
 捜査員のミスで、文章は全て消されてしまった。
 捜査員は、画面に映し出されたダイアログを見て、保存先を「はい」にカーソルを持っていこうとした所、手元が狂い誤って「いいえ」を選択してしまったと話している。



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