第55期 #27
謎の少林寺拳法家が、田舎にあらわれた。
「なにかこの村で、よからぬことが起こっているようですね。」
村長さんの家に一晩ごやっかいになり、豚汁をすすりながら拳法家は、突然切り出した。村は暗くて、静かで、犬が耳の裏をボリボリる音だけが聞こえる。それは2.1チャンネルのスピーカーとサブウーハーで、和製ダンスミュージックがはじける直前のパーカッションを、無限ループで聞いているみたいな音だった。
「体長15メートルの天狗が、村人を…」
村長さんは拳法家の言葉をさえぎった。
「人の土地に来て、あんまりそういうことは言わないほうがいい。人が集まれば、どこだって厄介ごとはあるし、不幸な死人は出る。こんなMcDonald(エム・シー・ドナルド)が一店舗もない村にでも、だ。」
拳法家はクールに笑い、立ち上がった。
「ここにはなにもないですね。このなつかしい感じ、久しぶりだ。助走をつけて、キック一発でクマを倒そうとしたら、袖をつかまれて殺されかけたあの頃、思い出すようだぜ。」
少林寺拳法家の言葉が、徐々にとがってゆく。昔、犬がまだ狼っぽかった頃、歯はとても尖っていた。昔、おもちゃメーカーががむしゃらに作り続けていた頃、プラスチックの忍者刀はとても鋭かった。ただ、今ではみんな過去のできごとなのだ。
「どこへ行くつもりかね。」
「ちょっと夜風を浴びるだけですよ。」
「まだ9時だが、もうみんな寝静まってる。こんな田舎じゃ、地下鉄(サブウェイ)は走ってないぞ。」
「おれの中の狼は、まだ走ってるのさ。」
拳法家の背中は汚れていた。一人暮らしの水回りは汚れやすいが、排水溝に投げ入れる錠剤を買い置きしておくのが、良いだろう。
「死ぬぞ……。」
戸を開け閉めする彼の身のこなしは、とても上品に見えた。学生にもあれができれば、一次面接はきっとうまくいく。外では、飼いならされた犬が吠え始めた。