第55期 #25
河毛でキセルをした。高2だからもう2年も前の事だ。修学旅行はグループで自由行動が出来たので、小谷城へ行くことを提案した。最寄り駅には京都の宿舎から一時間半程で辿り着く。改札が無い事を知っていたのか、何人かが私に初乗り運賃の切符を見せびらかした。
唯、駅にはコミュニティハウスが付属し、私たちはそこで借りた自転車で大地へ飛び出した。五月は快い。小谷城は浅井久政、長政親子の居城で、かつ絶命の地でもある。信長の妹の市を娶った長政だったが、織田軍の朝倉攻めに久政が怒り、信長に反旗を翻した結果善戦するも朝倉軍の弱体故に撤退を余儀なくされ、この地で羽柴や滝川と最後の壮絶な戦いを繰り広げた。親子の首は義景のそれと共に漆塗りにされ、酒宴の席で用いられたという。
湖北の道は清清しい。東京の無機質も、奈良や京都の小汚さもない。車は疎らで時折の静まりの間に静寂。鳥の囀り。山のざわめき。遠くの自動車の音。
清水谷をゆっくり登る。涼しい風の中も、火照った顔がところどころ光を帯び、大手門の跡まで来ると、迂回の舗装道の他にもう一つ、木立の隙間に石ころだらけの急傾斜が顔を覗かせた。古の兵が数多通った、赤っぽい土が剥き出しの道だった。
「こっちへ行こう」
半分の人は新道を往ったし、酷だった。それでも着実に上へ進み、夏草の空間は私たちが通ることで再び道としての役割を取り戻したように感じられた。そして2分勝った。
広間やら石垣やらを半分適当に見て、城を下りる。急勾配の坂道をブレーキが悪い自転車と共に、五月の風と飛ぶ。大きな青空がまだ広がっていた。
ローカル線は行ってしまったところだった。私たちは大貧民をする。コミュニティハウスには唯管理人がいた。そして訊ねた。
「切符はあるの」
「うん」
誰かが答えた。そのまま電車に乗った。空気の読めない私たちは電車の中でも大貧民を続ける。そのまま朝と違う駅の地に足をつけ、朝の切符で自動改札を通っていく。私にはそれが耐えられなかった。そして窓口へ向かった。
「切符、なくしちゃったんですけど」
「どこから」
機械的に、駅員は訊ねる。
「河毛です」
私は1000円札を取り出していた。機械的に運賃を払おうとしていた。
「いいよ、通って」
「えっ」
そのまま私は通り過ぎた。そのまま払わず関西を出た。そのまま払わず高校を出た。無機質な今、思い出す。それが最後のキセルだったんだと。