第55期 #22

漬物の話

 ブリの照焼き定食を、残さず、すっかり食べ終えた。
 箸を置くと、いきなりキンキン声が聞こえた。
「私だって好き好んでこんなドピンクに染まったわけじゃないのよ!」
 早口でまくしたてるその声は、どうやら小皿に乗った漬物の声らしい。
「体に悪いと思って食べないのは勝手だけどね、もとはと言えばちゃんと畑で育てられた大根なんだから! どうして海で勝手に大きくなった魚が天然モノとか呼ばれてちやほやされて、あたしみたいに大事に大事に育てられた漬物が見向きもされないわけ?!」
 僕は、漬物がかわいそうになって、そっとつぶやくように話してやった。
「金子みすヾの『お魚』っていう作品があってね。海の魚は大事に育てられたわけじゃないのに、獲られて人間に食べられるのは、かわいそうだ、っていうんだ。君は魚が羨ましいみたいだけど、みすヾにも似てるね。でも、僕はあの詩はどうかと思ってるんだ。大事に、って言うけど、いずれは人間が食うために育ててるんじゃないか。僕だったら、限られた場所で与えられた餌だけ食べて人間のために丸々太るより、海で必死に生きて鮫に食われるほうが、よっぽどいいけどなあ。君も畑じゃないところに種がこぼれて、そこで一生を終えたほうが幸せだったと思わないかい?」
 すると彼女はまたキリキリ声でまくしたてた。いや、彼女かどうかわからない。どうも、ピンク色なら女の子、と思ってしまう。問題だとは思っているけれど、なかなか治らない。
「魚のことなんか知らないわよ! だって大根はね、ちゃんと手塩にかけてこそ、初めておいしい大根になるのよ! ちゃんと耕してない土なんかにムリヤリ伸びてったりしたら、ねじくれてひんまがって、それだけで味まで変わってしまうのよ?! あたしに苦くて辛くておいしくない大根になれって言うの?!」
「そうじゃないよ。だいたい、最近の大根は辛味が薄くて物足りないっていう人だっているんだ。でも時代は味気ない大根を求めてるからなあ。そういえば、君は何大根だったんだい?」
「だったんだい、なんて過去形で言わないでよ! あたしは今でもちゃんと大根なんだから! あたしだって風呂吹き大根とか、おでんの大根とか、夢くらいあったのよ!!」
 そのとき、今度は本当に女性の声が聞こえた。
「お済みでしたら、お下げしてよろしいでしょうか?」
 僕は、ウェイトレスの顔と、漬物を見比べて、思わず言った。
「いえ、これからです」



Copyright © 2007 わたなべ かおる / 編集: 短編