第55期 #10

俺と

 憂鬱な時お前はいつでも、ミルククラウンが見たいと言って、グラスを掲げて机に牛乳を零したけれど、俺達の望む瞬間なんてものは、そう簡単に人前に姿を見せはしないという事を、ただ徒に悟るだけだった。逆に言えば俺達の人生は、目では見えない瞬間の、それこそエベレスト級の積み重ねで出来てるんだって、そんな言葉を、胸の中で玩ぶ。

 夜のお前はいつでも、月を探して、曇った空には涼しい顔で「おやすみ」と言うけれど、晴れた空にも月のでない夜はあって、お前は月を探し回る。「月がいない」と辛そうに言う。そんな時俺は、世界は何もお前を中心に回っている訳じゃないんだからと言ってやりたくなる。だけどお前は、「月、大丈夫かな?」なんて、病気の友達でも心配するみたいに言うから、月よりもお前の事の方が心配な俺は、お前に比べたら永遠ともいえる時間と美しさをもっている月が妬ましくて、「死んだのかもな」なんて答える。そうするとお前は不安を露にしてじっと俯くので、そんなお前を見て、俺の輝くことのできるお前の夜はあるのかと、そんな恥ずかしい問いを灰色の自分の中で響かせる。

 朝のお前はいつでも俺に、雨が降っていないかと訊ねる。俺が降ってないと答えると、お前は詰らなさそうにして、それでもベランダに出て確かめる。霧雨も降っていないと、確認したお前は、「降ってないよ」と俺に言う。俺の身からしたら雨など降らないほうがいいのだとも思うけれど、もしも雨の日ならお前はいつでも幸せそうに雨音を聞いて、寝椅子の上でたゆたうので、俺もすこし残念そうにする。

 「あんた」と俺を呼ばわるときお前はいつでも、頬を紅くして、黒い目を輝かせるので、返って俺は嬉しくなったりして、顔は殊勝に繕いながら腹の中でニヤニヤする。お前の心臓を燃えさせるのが怒りであっても、その時こそお前は生を鮮やかに咲かせるから。だから俺が何もかもキスで解決しようとするのは、それが強引な手段だからじゃなくて、瞬間お前が美しすぎるからだ。

 寒いときお前はいつでも、ストーヴを点けないで欲しいという。暖房を付ければ確実に温い幸せがやってくるのだと、知っていてそう言う。「嫌悪と関係のない冷たさって、優しいじゃない」と言う。俺はお前が、暖かくして、それで幸福でいてくれればと思うが、冷気に当てられて流れ出すお前の涙の美しさに、魅入ったりもする。お互いの息の白さにはしゃいだりもする、俺達。



Copyright © 2007 藤田揺転 / 編集: 短編