第54期 #4

オレンジ色の靴下

「明日死ぬからお前の太ももを撫でさせてくれ」
ジイはそう言うと私の手を取ってタクシーに乗り込んだ。
こんなジジイは初めてだったので、心の中では最初クソジジイと呼んだけれどなけなしの優しさを搾り出し、「ジイ」と呼ぶことにした。
ジイは高速道路の電灯に合わせたリズムで死んだ奥さんの話をしだす。
それはあんまりにもジイの思い出で彩られ、もう何だかよくわからない形をした思い出話ばかりだ。私は何を基準に聞いていいのかわからなくなって、ジイの声を子守唄に切断の連続でやってくるオレンジの世界の中をうとうとしていた。その連続はジイの声と呼応して、より緩やかなカーブを描き私を小さな女の子に変えていった。
ジイは私の太ももを触りながら、奥さんの名前を何度も呼ぶ。それは少し掠れたか細い声だった。誰にも聞こえないように願っているが出さずにはいられないあの声。あんまりにもしつこいものだから顔を睨んでやると、ジイは照れたようにはにかんだ。その顔はおとつい見た妹の赤ちゃんの顔に似ていた。私はたまらなくなって子宮のあたりがグっと縮こまり、やがて温かい塊を感じはじめていた。
それからしばらくジイは太ももを撫で続け、私にお金を渡して朝日目指して歩いていった。私はそのお金で甥っ子に靴下を買ってやるつもりだ。
冬はまだ続くから。



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