第53期 #5

 其れは、良く晴れた或る春の日の事だった。
 桜色の花弁も、薄い雲も、青空の下草原の上、私を残して風にさらわれて行く。影達も逃げる。私を残して。昨日新しく削られた毛先はいつもよりうるさく顔を触ってくる。白いシャツの衿は陽を辺りに散らして、紺のブレザーは頑なに風を知らない。灰色のスカートはへらへらと太股を擽り、其れより確実に芝の葉は私を刺す。私は鎧を着て無防備に桜の根元で春風に晒されて居た。
 「何してんの。」
 慎二が来ても、私の目も口も、知らんぷりを続行する。
 影も同じ。
 「何してんのって。」
 もう一度、同じ。
 「…良いの?」
 「…良い。」
 口は気付いたらしい。他はやはり、知らんぷりを貫きたがる。
 「南帆、もう行ったんじゃない?」
 「じゃあもう遅いよ。」
 …また、風が騒ぎ出した。天使の輪の乱れる墨色の髪の頭上、春に心躍らせる木の根より少し右、太陽を気にした浦公英が踊る。
 「…なあ、良いの?」
 「良いの。約束したから。」
 「約束?」
 「うん。」
 「見送りに行か無い約束?」
 「…そんな感じ。」
 「ふーん…。」
 風は遠慮を知り始めたらしいけど、今度は陽が色を囃し立てだした。
 「振ったんだ。」
 「………あー、やっぱ知ってんだ。親友だもんな。…うん、悪い。」
 「私が告白したんじゃないから。」
 「あ、ごめん。」
 私は、起きる事にした。スカートの裾を足で押さえて三角座りをした。卸し立てのローファーは濡れたみたいにテカテカ光る。
 「…卑怯かもね。」
 「誰が?南帆?」
 「だって、今日から引っ越すって日に告白するなんてさ。」
 「でもそう言うモンじゃねぇの。」
 「…ふーん。」
 「泣いてたよ。」
 「…ふーん。」
 立ち上がった。私は黙って幾メートルか先の花壇まで歩いた。
 春臭かった。


 南帆と、約束をしたのだ。暗黙の約束。確認し合う約束。
 親友と呼び合う約束。
 互いが慎二を好きに成った時、互いの心が晴れて居なければならないような約束。


 私は、約束をしたのだ。今。
 南帆が振られたのなら私は告白をしない。
 南帆が泣いたのなら私はもっと泣いてやる。南帆よりももっと。


 「好き。」
 果敢無い恋色の花弁に託す、一欠片の愛。



Copyright © 2007 はなこ / 編集: 短編