第53期 #30
初めて訪れたネリの部屋には小さなこたつとベッドがあるだけで、他にはテレビもラジカセも本棚もなかったが、壁にギターが立てかけてあった。
「拾ってきたの」とネリは言った。
弦は錆びているしネックは反り返っていて、ジミヘンみたいに弾いたらバラバラに壊れてしまいそうだった。抱きかかえるように膝の上に置いて指で優しく弾いてみると、意外にチューニングは合っていた。
「弾ける?」
「すこしだけ」
「弾いて」
ピックが見当たらないので十円玉を使って弾いた。昭和三十二年のギザ十、シドと同じ年生まれのとっておきだ。金属のこすれる甲高い音が狭い部屋に響いた。
ネリが台所から皿を持ってきて箸で叩き始めた。どうやらドラムのつもりらしい。女の子のくせに力が強くて、叩くたびに皿は割れて小さくなったが、それにつれて音は可愛いらしく跳ねた。
「歌ってくれよ」
ネリの歌は変だった。思いつく限りの人の名前を挙げて彼らは死んだと歌うのだ。
あの曲がり角の向こう、息もせずわたしを待ってる
みんなに会えるかな、わたしも息を止めてみる
悲しい詩にも関わらず、ネリは楽しそうに体を揺らしていた。
錆びて脆くなった弦が、しゃうんと悲痛な音をあげて切れた。別れの挨拶にしては間の抜けた音だった。すぐに続けて三本切れた。しゃうん、しゃうん、しゃうん。
二本ではコードも押さえられないしもうやめようかと思っていると、ふいにネリの歌の調子が変わり死んだ人々が生き返り始めた。
よかった、よかった、みんな、よかった
生き返って、そうね、まるで朝みたい
「なんだか都合のいい歌だなあ」
皿はもはや粉々になっていたが、ネリは執拗に、今度はまるで踊るように両手の拳を叩きつけた。どんじゃりどんじゃり。こたつの上で細かな破片が跳ねた。
「おい、やめろよ。血が出てるじゃないか」
それでもネリは歌い続ける、叩き続ける。
「やめろって、見てて痛いよ」
しゃうん、と弦は一本だけになった。こいつを切ってしまえばいいんだ。俺は気合を入れて最後の一本を引き千切った。するとようやく歌が止まり、ネリは驚いたように口を開けている。宙に浮かべた拳から血が滴る。
「みんな生き返るのはけっこうだけど、血はやめよう。それは美しくない」
「痛い」とネリは思い出したように言った。「ねえ、痛い」
「次は俺が歌うよ」
こたつの向こうに回ってネリの手を優しく舐める。ざらりとした感触が舌を刺した。