第53期 #26

おいしい虚像

 人々が回転寿司の皿をあまりに高く積み上げるのを見た神は、それを寿司が無闇に旨いせいと考え、世の中に安く不味い寿司をもたらした。人々は混乱し、寿司は長らく回ることを忘れた。今日に至る人類の歴史とは即ち、安くとも旨い寿司を回そうという苦闘の積み重ねに他ならない。
 小石川は何かの拍子に気分が大きくなると一皿百三十円の回転寿司を食べにいくが、随分腹が空いているようでも、決まって七皿しか食べられない。八皿で勘定が千円を超えることを鑑みるに、少食のせいばかりではなさそうだ。
 エンガワが好きな小石川は七皿のうち二、三皿はエンガワを食べる。とはいえエンガワをエンガワと知ったのも写真付きメニューのおかげであり、テレビでヒラメの姿を見てもエンガワとはまったく別の生き物としか思われない。
 そのためエンガワに対して多少後ろめたさを感じているが、同時にそれはまったくの杞憂ではないかという疑いも抱いていた。安い価格帯の回転寿司店で出される食材の多くが偽物であるという指摘をしばしば目にするからだ。
 その種の偽装に関して、小石川は多くを知らない。きっと受け止めるには悲し過ぎることばかりだと、無意識の内に情報を遮断しているからだ。それでも、ずっと知らずに生きていきたいとまで思っているわけではない。真実が自分の元を訪れる日を待ち侘びてもいるのだ。
 虚飾にまみれた空間に語られるべき真実など存在しないという向きもあろうが、と小石川は誰にともなく胸の内で言い訳がましい前置きをした。俺がエンガワ、あるいはエンガワを騙る謎の物体を愛している気持ちが真実である以上、その正体が何であれ、嘘などとは言えないはずだ。
「エンガワください」
「はい、エンガワちょっと待ってくださいね」
 連日の立ち仕事が応えるのか、板前は足をもじもじとさせながらエンガワを握った。この男にとってはエンガワの素性より足の疲労の方がずっと重大な問題なのだと、小石川は微かな不安を覚えた。
「はいエンガワ」
 エンガワはやはり旨かった。しかし、旨ければ旨いほどに自分が求める答えから遠ざかっていくようにも感じられるのだった。
 ならば一皿百円にしろとは言わない、せめて一皿を三貫にして欲しい。そして、一貫当たりの価格については目を瞑って欲しい。その日七枚目の皿を積み上げると、小石川はそっと席を立った。



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