第53期 #13

同じ場所、近い場所


命の誕生を祝い、死を悼む。
その都度噴火する感情にどっぷりと浸かったくしゃくしゃの顔はどちらも美しさすら感じさせるほど人間らしい。
しかし、私にはその二つの感情の違いが未だに見出せずにいる。

気づいたのは5歳の時。祖父が交通事故で死に、雨の降る葬式では祖母が声を上げて涙を流していた。
ショックだったのはもう動かなくなった祖父の姿以上に祖母の泣き声だった。
その時初めて人が心に潰されて泣くところを見た私は驚きと同時にその顔が脳裏に焼き
感情を抑えきれなくなった人間の姿が、幼い私を何よりも怖がらせたのだった。

その翌年に弟が生まれた。病院で泣いて喜んでいた祖母の顔を覗き見ると、それは祖父の死で見た時と全く同じ表情をしていた。
皺という皺を顔に集めて、声を上げて泣く嬉し泣きの姿からは、死の哀れみと同じ雰囲気を一瞬で思い出させたのだった。
幼い私は、喜と哀の体現が同じ顔であることを疑いたく、恐怖した。
そして訳も分からず一緒に泣いたのだった。

嘆きと歓喜はとても近いものに見えてくる、それでも相反する様に思えて仕方ない喜と哀の違い。

それからずっと考えていた。

あの時、祖母に同じ涙を流させた祖父の死と弟の誕生。
生死の両極が私に見せた同一性は、長いこと私を縛り続けた。
命に触れる感情だけは、何か特別なものであったりするのだろうかと。

還暦になった私は、病院の窓からいつもそんなことを思い出すのだ。
世知辛い都会の景色と風が、思考に切なさを加える記憶の中で
空の紅、血の紅。命は紅く流れ、何れ止まり。そこから沸く様々な想いもまた、同じ色をしているのだろうか。
地に沈む朝焼けと同じ色のそれは、全て根源は同じ場所であるのではと私に問う。

確かに。何れ沈み、又昇る。ただそれだけなのだ。
こうして私はベッドに戻り
これが夕日なのか朝日なのか知るべく壁の時計を見上げた。



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