第53期 #12
お前が海を見たいと言ったから、連れてきた。ひた走る車の中で、お前の沈黙だけに耳を傾けていた。
まだいつもの、お前の悲観した呪詛の羅列はやってこなくて、お前は独りで水の地平を眺め、彷徨う風に髪を絡ませ、いつの間に持ち出したのか、俺のウイスキーを顔を顰めながらやけっぱちに嚥み下していた。(帰りの車でダッシュボードに吐いた)。
そんな真似をするのはよせよ。お前は可憐じゃないが、飛び切り美しくもないが、それでもお前は、お前の魂は、青くて、青い影のようで、揺らいで、日の光や風や雲なんかによって、ひらりひらりと色調を変えて、時に燃えて、青く、とても澄んでいて、つめたくはないけど、どこか白々しい。あてもなく彷徨う。夜は、俺の知らない闇の中で、そっと息をする。分からない。お前の魂がどうとかいうことなんか分からない。ただ、俺は、お前を掴まえておきたい。放っておくと、お前、どこの終電も去った駅で、独りぼっちでいるかわかんないだろう? だから、そんな下手な真似はよせよ。
俺は、太平洋の向こうから、ポツンと小さな点となって現れて、少しづつ、少しずつ大きくなって、人の形で、動いて、そうやって真っ直ぐお前を見つめて、水の中から、海と雲の間から、お前の所に辿り着けたらいいと思ったけど、さすがに無理で。だから、お前の後ろに座って、お前の横顔を眺めていた。お前は泣いていて、インディアンの戦士みたいな勇ましい顔をして、それで、濡れていて、俺は衝動、お前の涙に口付けしたいと燃え立った。けれどもお前は野生の猫みたいに見えて、迂闊に手を伸ばそうものなら俺を引っ掻いて飛び去って行ってしまいそうに思えたから、俺は後ろからお前に飛び掛って、押し倒して。そしたらお前の拳が俺の顎を打って、右目も殴って、俺はお前を絞るほどに抱き絞めて、お前は暴れて、お前の頬に俺はキスして。
お前から搾り出した透明の液体には、お前が濃縮されていて、俺は何もかも飲み尽くしてしまおうと思って、お前の頭を押さえつけて舌を這わせて、お前は俺の耳を千切れるほど引っ張って、潮騒の上で、砂の中で、俺達はそうやって。
いつしかお前はしゃくりあげていて、俺はお前の体をきつく抱いて、お前の胸に頭を押し付けて、痺れている右目の辺りで、弾むお前の心音を聴いていた。空は暗くどこまでも鈍って、海は遠くどこまでもうねって、風は冷たく、俺はお前を、じっと聴いていた。