第52期 #8
「私昔いじめられてたんです。それは過酷な日々が長く続きました。」
安いラブホテルの一室に僕とチヨダさんはいる。彼女はベッドの縁に凭れて話し始めた。僕は小さな冷蔵庫からスーパードライを取り出してプルトップを空ける。
馴染のバーでよく一緒になったジミという男からコンパに誘われてそこで出会ったのが彼女だった。二軒目のバーで甘ったるいカクテルを飲む他の女の子らから敢えて孤立するかのようにシングルモルトをロックでちびちびやっている彼女を見ると何だか悪い気はしなかった。僕は彼女の隣のスツールに腰掛ける。
「いじめが長く続くうちに私はやつれていったようです。母には心配を掛けたくなかったから家では元気を装ってご飯もちゃんと食べていたのですけれどやはりいじめられるというのも結構体力がいるものなんです。
僕が隣に腰掛けるとチヨダさんは一瞬身構えて一秒後には僕に親密な笑みを洩らした。悪くない微笑み方だなと思った。
「それが何かの理由で母に私がいじめられていることが知れてしまったのです。それからが大変でした。事態はさらに収拾がつかなくなりました。母は元々問題に直面してしまうと適切という言葉から最も離れた突飛な行動をとってしまうような人間なのです。それが私の最も恐れていたことでした。散々火に油を注ぐような行動をした挙句に母は宗教に走りました。」
「どうして?」
「自分の娘がいじめられてるなんて信じたくなかったのでしょう。」
僕はビール缶を両手の甲でスクラップする。
「悪魔崇拝ってどう思います?」
僕がぼんやりしていると彼女は言葉を続ける。
「母に反抗することも出来ずに私もそちらの世界にどっぷり浸かることになりました。しばらくすると見えるようになりました。」
「何が?」
「人の悪意だとかおぞましさが見えるのです。その人の肌から。紫の煙のように。湖上の靄のように。」
「何かハードロックだね、そういうの。」
そういうとチヨダさんはクスッと笑った。そう言えば家って一日中ハードロックが流れていたんです、と。
「私は今でも時々鶏なんかを生け贄にするけれどその辺を歩いている普通の人たちの方がどれほどおぞましいものかといつも考えます。」
「僕がそれを知らなかっただけなのかな?」
酩酊が心地よく僕を抱く。おっぱいに抱かれているみたいだ。
「そういうことです。」
チヨダさんの声がどこか遠くで聞こえた。