第51期 #16

歯医者

 歯医者が苦手だ。
 痛いのが恐いというわけではない。確かに嫌だが我慢はできる。それよりもっと人間の尊厳に関わる理由で苦手なのだ。
 それだというのに虫歯になった。
 看護士に導かれシートに座る。若く、笑顔が魅力的なたいそう美人の看護士だ。
 医者に症状を伝えて口を開くと、医者は両手で鏡と器具を突っ込む。
 これが苦手なのだ。
 これでもかと口を開けた様は悲しいくらいマヌケ顔だろう。その口の中をのぞき込まれる。ずいぶんな屈辱だ。
 そして目の遣り場に困る。たまに医者や看護士と目が合って気まずい。医者でもかなり気まずいが問題は看護士だ。若い女性だとなんとも気まずい。どうですかこのマヌケ顔、と言わんばかりだ。
 今日は絶対目を合わせまいと看護士の反対側にある柱を注視した。不意に口から指や器具が抜けた。
 医者は麻酔無しで削ると言った。我慢しよう。
 シートが倒れ、看護士の指が口に入る。片手で押さえ、反対の手は吸引器を持っている。手袋はしていない。白く細い指が口に入り、ひんやりした皮膚の感覚が頬の内側に広がる。
 考えてみれば口の中に指を入れられるなんてそうあることではない。それも美しく若い女性だ。舌で彼女の指をなめ回すことを想像してみるが、理性が実行を阻む。
 限りなく近く、限りなく遠い場所に舌と指がある。
 ドリルが甲高い音を上げ、我に返った。何を考えているのだ。
 奥歯が削られていく。徐々に神経が露わになり、びりっとした痛みが頭に響く。だが大人は歯医者で泣くものではない。とは言え涙目になる。
 歯の方に集中した途端柱への集中が切れ、不意に看護士と目が合ってしまった。すぐに目線を離したが、いつもの気まずさが襲う。
 それから銀歯の型を取る。いい加減こじ開けられる口が痛い。
 もう二度と目を合わすまいと、再び看護士の反対側へ視線を遣る。今度は柱も通り越し、できるだけ遠くへ視線を遣る。すると突然何も見えなくなった。遠くへ遠くへと夢中になり、白目を剥いてしまったのだ。
 ハッとして正面に視線を戻すと、看護士と目が合った。多分白目を見られた。
 貴女とはできれば違う形で出逢いたかった。
 そういえば「歯医者」と「敗者」は同じ読みだ。寒い駄洒落を思いついてしまった。だが幼い頃から、歯医者に行って勝者になれた試しがない。
 医者に明日また来るように言われた。その後ろで看護士が微笑んでいた。せめて営業スマイルであってくれ。



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