第51期 #15
電車の外の流れる景色を見ながら私は深く溜息をついた。と、同時にこれから先の人生を思うと、ひどく不安になり心臓の鼓動が速く波打つのを感じた。 吉井美姫、30歳。私は本当は結婚願望が強い。昔から愛する夫の為に得意料理を作り帰りを待つ、そんな自分を想像していた。しかし現実は違い今だに結婚もしておらず彼氏もいない。美姫はもう一度深く溜息をついた。その時だった。耳のすぐ横で聞き覚えのある男の声がした。
「美姫どうしたの?」
その声に反応するかのように私はゆっくりと目線を右横に移した。同時に3年前の深く甘いその男との恋の記憶へと連れ去られていった。
「美姫どうしたの?ずっと窓の外を見て。こっち向きなよ」
渡邉はそう言って振り向いた美姫の右頬を左手で軽く触れ目を細め軽く微笑んだ。
「ううん、別に。」
照れ笑いをしながら美姫も頬を触れている渡邉の手にそっと触れた。今までに味わった事の無い幸福感にめまいがした。しかし、その恋の終わりもあっけなかった。
「他に好きな子ができたんだ」そして渡邉は続けてこう言った。
「全部俺が悪いんだ。美姫の事を決して嫌いになったわけじゃな いんだ」と。
嫌いになったわけじゃない。しかし、それは同時にもう好きでもないとはっきり言われているのと同じだ。
美姫は、まためまいがし、同時にひどい吐き気にも襲われた。
「どうして?私のどこがいけなかった?」悲鳴にも近い声だった。
「いけないところなんてない。そうじゃないんだ。分かってくれ
美姫」
この同じセリフのやりとりが何回も続いた。そして渡邉と別れた。いや、無理矢理別れに同意させられたと言った方がしっくりくる。
あれから三年。渡邉はその後結婚して今は一児の父親だと風の便りで聞いた。美姫の耳に電車の中の雑音が聞こえてくる。そして三年前の記憶から今の現実に連れ戻される。駅で電車が止まり人の波に押されるように美姫も降りる。そして改札に向かってゆっくり歩く。突然、めまいと軽い吐き気に襲われ美姫は座り込んだ。駅員がびっくりして走ってくる。
「大丈夫ですか?ご気分でも悪いですか?」
美姫は座り込んだまま首を横に振る。そして、手の上に冷たい雫が落ちた。溢れ出す涙とめまいと吐き気の中でそれでも生きていかなければいけない現実。美姫はゆっくりと立ち上がり、そして前を向いて歩き始めた。これからの見えない想像のつかない人生に向かって。