第5期 #14

人の声にその本性が顕れることについて

 十二月十二・十三日の両日、私の住んでいる市で、
「朗読奉仕員養成講習会」
なるものが、有志の市民二十人ほどを集めて開かれた。
 市では月に二度、広報誌を出して全戸に配布しているが、目の見えぬ人はこれに必要な情報が記されていても読むことができない。点字版は出ているのだそうだが、あれは大人になってから失明した人が習得するにはなかなか大変である。
 そこで今回、我らが市でも録音版を作ろうと企てたらしく、県の点字図書館から講師を呼んで来て、音訳ボランティア養成講座が催されたという訳なのであるが、会場に充てられた市役所六階の会議室(近くに高い建物がないので眺望抜群)に一歩足を踏み入れるや、
(こりゃ飛んでもない所へ来てしまった)
という不安が芽生えたのは、集まったのが自分を除く他はすべて女性(熟年以上)で、さらに講師席を見ると、山田五十鈴と杉村春子を足して二乗したような矍鑠たる老女が四方を睥睨している。
 後で本人が言ったところでは、これは確かに元女優、と言うより元劇団員、察するに演出家に怒鳴られ罵られ涙を流しながら、芸の道一筋に邁進してきたに相違ない。
 この手の人々は不思議に同じような雰囲気を持って来る。軍人や巡査のような、市井の一般人とはかけ離れた片寄った性格になる。のほほんと生きている庶民を本当に再現できる訳はない。……実はこれは文学におけるリアリティも同じ事なのであるが。
 それにしても、『ごんぎつね』の一節ばかりしつこく読ませるには閉口した。順に一人ずつ朗読する中に、男声は私だけで、たださえ調子は狂う、「もっと明るく」と言われれば声は裏返る、つくづく情けない思いをさせられた。
 この年の瀬の忙しいのに、そんな所へなぜ参加したか。後で講師にも訊かれて、何やら訳の判らないことを陳弁していたようであるが、要は県教委が教員採用の際にボランティア経験の有無をやかましく詮議するからである。
 こんな不純な動機で来たから碌な目に遭わないのだと小さくなって居たら、昼休みになって、鶴のように痩せた品の良い老女が寄って来て、どこかでお習いになったんですか、お上手だなと思ってたんですよと話し込まれてなお恐縮した。これは文学老女であった。自作の童話などを福祉施設で読み聞かせているのだそうだが、
「本当、その声で太宰治なんか読まれたらぴったりだなと思って……」
と評されたには、喜んでいいのか何なのかよく判らない。



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