第5期決勝時の、#14人の声にその本性が顕れることについて(海坂他人)への投票です(5票)。
むずかしい審査だ。独断と偏見で悪いところを見つけるしかない。一人称だから本来ツッコむべきところではないかもしれないが、『傘を広げて』は、メルヘンチックな題材でありながら描写が説明くさくてカタい、というのがユニークであるけれども、独断と偏見で、もうちょっとポエチックな表現を求める。『砂のユートピア』は逆に、アカデミックな題材でありながらところどころ描写がポエチックにすぎる、というのもロマンチックでよいのだけれど、独断と偏見で、もうちょっと冷静な表現を求める。その点『人の声にその本性が顕れることについて』は、あまりに自然な文章で得をしていてなんだか不平等なかんじもするが、やっぱり不満がないのでこれを推す
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おそらく、私が小説を読むということに対して求めている娯楽というのは、「なんだかよくわからないけれど、面白い」というような感想を抱くことができる、ということなのだという気がしています。「なんだかよくわからないんだけど」と、こういうふうに感じることのできる喜び、が欲しいのだと思うのです。
海坂さんのこの作品には、それがまさしくありました。なんだかよくわからないんだけれど、面白いのです。その、「なんだかよくわからないんだけど、面白い」というのを、おそらく作者の方も感じての、この作品なのだと思います。お裾分けをして下さって、ありがとうございました、そんな気持です。
他の二つの作品については、それに比べてしまうと、書き割りのような平面的な印象となってしまいました。面白いとしても、そのわけがわかってしまうという感じなのです。奥行きが感じられない。そういったわけで、私としては、迷うことなく、この作品を選ぶことになりました。
他に、文章として気になったことを、いくつか。一つの問題提議として。何が正しいのかは、私にもわからないのですが。
『人の声にその本性が顕れることについて』については、『そこで今回、』から『睥睨している。』までの一文なのですが、途中の『という不安が芽生えたのは、』という部分については、「〜からで」というような文というか言葉が来るのが普通の文法のような気がしたのですけれど、そういうことはないのでしょうか。これは、純粋な疑問で、つまりもしそうなら、私もそういう文章を書いてもいいのだろうか、という程度のお話なのですが。「〜なのは、〜だから」というのが自然な文章のような気がした、というただそれだけのことなのですけれど。
『傘を広げて』については、『雲行き悪い』というのは、やはり不自然な気がしました。「雲行き」というのはやはり「あやしい」ものであるべきだと思うのです。慣用句だから、というだけの理由ではなく、その方が美しい表現だと思うので。雲行きには、あやしくあって欲しいと思うのです。それから『外出たら』は、できれば『そと出たら』あるいは「外でたら」の方が私は読みやすかったと思います。「がいしゅつ」と、まず先に目が読んでしまいました。細かなことですけれど、ほんの一つの参考意見として。
『砂のユートピア』については、まず一行めの『架空の動物』という表現が、なぜか引っかかりました。なぜだろう、とちょっとだけ考えてみたのですが、それは、それが断定的な物言いだからではないだろうか、という気がしました。『架空』かどうか、よくわからない状態にいる、という方が自然に読めるのではないのだろうか、と。大昔には存在していたと、そういう可能性を否定しないでいるという書き方の方が、自然な気がしたのかも知れません。『砂の荒れ吹く』という表現が、あまりしっくりと来ませんでした。『荒れ吹く』よりも『吹き荒れる』の方が一般的ではないだろうか、というふうに思っていたところ、何行めか後に『吹き荒れ』が、ありました。なんとなく、こういう取り合わせは格好がつかない、語彙の貧しさ、というのが感じられる気がしました。『まるで群をなす無数の巨象が一斉に目覚めたように、』という比喩は、面白く読めました。ありふれてはいると思いますが、自然なので、わかりやすく率直な表現に思えました。比喩は自然、違和感がない、というのが基本的には第一なのだと思います。
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勝手に人様の適正をうんぬんするのは、はなはだ僭越ではあるが、この作者は、作りものの小説よりも、どちらかと言えば日常系の随筆、エッセイ寄りの作風なのではあるまいか。このやたらと長いタイトルも、繰り返す事で妙な味が出てきそうな予感もある。 (ラ)
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