第49期 #9

燃える家

 36年ローンの一戸建ての家が燃える。
 凄まじい火力がリビングのガラス戸を吹き飛ばす。
 夜空へ煌々と火柱が立つ。
 それだというのに妻はシステムキッチンで炎に囲まれながら涼しい顔で食事の仕度を始めている。
 何してるんだ、逃げなくてどうする。
 慌てて叫ぶと妻は口が裂けるほどの笑みを浮かべ、まあ、みてらっしゃいな、と叫び返す。その右手にはさしみ庖丁がしっかりと握られ、まな板の上には生きた鮭が踊っている。
 妻は鮭の目をずぶりと刺して、それから痙攣している鮭の腹を思い切りよく割いている。
 ぴしゃりと尾を打ってのたうつ鮭の有様はまるで女の腰がうねるような錯覚を与える。
 燃え上がる炎に囲まれて、妻は、あら、あなた、子供が沢山、と鮭の腹から子宮膜に包まれた卵をぞろぞろと掻き出す。いつの間にか妻の顔が愛人になり、これでいいんでしょう?と、げらげら笑いながら血塗れの両手で子宮膜に包まれた魚卵をぐしゃりぐしゃりと握り潰している。

 翌朝、私はぐったりとして目を覚ます。酷い夢を見たなと顔を洗って会社へ向かう。
 夜になって家に帰るとテーブルの上には山盛りのすじこが並んでいる。私の顔を見ると妻は静かに1枚の紙をテーブルに置く。
 傍に行くとその紙が○○レディースクリニックの領収証だと判る。宛名が愛人の名前になっている。
「わたくしが話をつけてまいりましたわ」と妻が微笑する。
 
 情念の炎が家を覆う。



Copyright © 2006 ゆき / 編集: 短編