第49期 #5

猫公戦

「高速スライダーが打てるようになった」
 哲治の操る北海道日本ハムファイターズが言葉通りに松坂を打ち崩していくのを私はぼんやりと眺め、扇風機が自分の方を向いたときには前髪の動きを思い描いて目を閉じた。
 去年の夏もこうだったから、来年の夏も多分同じことをしているのだろう。松坂はいい加減アメリカに行ってしまうかもしれないという噂は私も時折耳にするが、哲治はもう少し先だろうと言うし、そう言われると何年も前から話だけはあったような気がしてくる。他の誰かとごっちゃになっているのかもしれない。
 私は人並みに野球に興味が無い。哲治は昔少し野球をやっていたらしい。昔少しピアノを習っていて、昔少し英会話に通っていて、昔少しワルかったという彼も今はすっかり大人になって、特に何もしていない。
「次は誰だ。三井か。おい三井、道民ならウチに来い、この野郎」
 ピッチャーが左投げになった。みんな同じ顔をしているので、可愛いとは思うが見分けがつかない。基本的に右か左か位しかわからないが、背伸びをするのがSHINJOだと最近覚えた。
 スリーアウト、チェンジ。
「ねえ」
「何」
「ダルビッシュって何人」
「日本とイランのハーフ。何回言っても覚えねえな、それ」
 語感は好きなのに、設定は何回聞いても覚えられない。不思議なことだ。それはそうと、言っておかなければいけないことがあった。
「杏奈が来週の花火大会一緒に行こうって言ってたのを今急に思い出した」
「もうそんな季節か。早いねえ」
「タモリか。車借りられるか聞いてきてって」
「うん、親父に聞いとく。そこのメモ帳に書いといて」
 メモ帳に花火大会の日時と車の絵を書いて、トイレに行って、私のイメージするダルビッシュさんの似顔絵を描いて、その二枚目の髭面に吹き出しを付けて「ダルビッシュか」と言わせて、麦茶を飲んで、杏奈にメールをして、暑くて疲れた。
 誰かがホームランを打った。
「ねえ」
「何」
「私たちって、ロハスだよね」
「まあ、ロペスというよりはロハス寄りだな」
 哲治の右手がそろそろと近付いて、私の髪をそれは大儀そうに撫でた。
 生きているだけで前髪は伸びる。扇風機は向こうに行ったが、私はもう目を開けないことにした。試合の様子はアナウンサーが丁寧に伝えてくれる。その声がなかなかセクシーだと思っていることは、哲治には秘密にしている。



Copyright © 2006 戦場ガ原蛇足ノ助 / 編集: 短編