第49期 #25

百万人の笑顔と僕

 「なあなあ、本貸してくれよう」
 そんな脱力を誘う声で僕に話し掛けてきたのは、学年一アホのお調子者と言われている青木だった。
 
 僕と青木とはそれまで話をしたこともなく、その上僕はトイレで用を足している最中だったので、ギョッと面食らってしまったが、青木はそんなことは構わず
「次国語じゃん。俺本忘れてきたんだよう」
などと言った。
 僕達の高校では国語の授業の始めに本を読んでいた。恐らく青木は、学年一読書家の僕なら多めに本を持っていると思ったのだろう。
「忘れてきたって……お前がいつも読んでるのは本に見せかけた漫画だろう」
僕は手を洗いながら皮肉を込めて言った。
「そうそう。その漫画を忘れてきたんだよ」
呆れ顔で僕は懐の文庫本を取り出した。【百万人の笑顔をつくる】が売り文句の、笑いを誘う小説だ。
「ほら、これならお前にも合うだろ」
僕は本を青木の胸元へグッと突き出した。
「これ……面白いのか?」
「ん……まあまあかな」
そうは言ったが、僕は実際この本を読み何度笑ったか知れない。まだ読みかけなので、できれば渡したくなかった。

 国語の授業が始まると、僕は斜め後ろに座っている青木がずっと気になっていた。というのも、もし授業が終わった後つまらなかったと言われて返されたら、と想像すると、不安で仕方がないのだ。自分自身が否定される気もする。だから僕は青木の反応に神経を集中させた。一応本は広げていたが、内容は全く頭に入っていなかった。

「くっ……」

その時、唐突に斜め後ろの青木は笑った! やはり僕の薦めた本は面白かったのだ。僕は何とも言えない不思議な気分になった。
 

 それ以来青木は本を読むようになり、僕にもよく「貸せ」と言った。そしていつの日か、僕がつい「作家を目指している」と口を滑らせたら、「読ませろ」としつこく言い寄ってきた。仕方なくひとつ読ませたところ、何故か続編をつけて返してきた。勝手に何をしとるんだと思いつつ読んだところ、僕のマジメな文章は最後の数行のために滑稽文章となっていた。そのあまりにエネルギッシュというか印象的というか、そんな青木の文章に僕は怒りを忘れてしまった。そして僕は「こいつには何か才能がある」とおぼろげながら感じた。
 あれから十年たった今、僕はエンジニアとして働き、青木は世間に大爆笑を巻き起こす作家になっている。どうやら僕は、勘だけは良かったらしい。

 しかし、僕もまだ諦めちゃいないぜ。



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