第49期 #21

風に戦ぐ夏休み

 風が強い。
 公園のベンチに腰掛けた瞬(シュン)は、いたずらに揺れ踊る前髪をかきあげ、大通りを眺めた。カラオケボックス、レンタルショップに歯科クリニック…立ち並ぶいつもの店が、早い時間からシャッターを下ろしている。
“台風8号は依然、強い勢力のまま北東に進行中、住民の方は注意が必要です。以下の地域に警報が…”
 瞬はかすかに笑い、首からさげていたラジオの電源を切り、静かに目を閉じた。
 頬を撫でる風。遠くで何かが倒れる音。いつ降り出してもおかしくない雨の匂い。強い大きな力が段々と近づいて来る。
 世界が終末に向かっているような空気。
 湧き起こる焦燥感と緊張に、胸が高鳴る。
「そろそろ来るな、瞬」
 目を開くと、自転車に跨った達也がニヤリと笑っていた。夏期講習の帰りらしく、帆布鞄を肩からさげていた。
「遅い」
 瞬は不服そうに呟いた。達也が自転車から降り、肩を竦める。
「台風だから早めに終わって来てやったのに」
「武器は?」
「取りに帰ってる時間なんかない…オレの分も持ってるだろ?」
 達也がベンチの下を覗きこむと、瞬はかすかに頷いた。
 二本の金属バットを器用に足で引っ張り出し、一本を達也に手渡した。
「達也、その自転車は倒しといたほうがいい。一時間ぐらいで風がもっと強くなる」

 轟々と風が響き、木々が荒々しく揺れ、電線がうねる。
 瞬と達也は、転がってくるゴミ箱を蹴り、骨の折れたビニール傘を、バットで打ち落とした。駅前英会話のポスターが達也の顔に張り付こうとするのを、瞬が庇う。吹き溜まりのこの場所は、何が飛んでくるかわからない。酷いときだとペリカンの描かれた看板が大通りから、飛んでくる。
 台風が通り過ぎるまでの戦い。この場所で凌ぐ、ただそれだけ。
 通り過ぎるまで、そこにいられるなら、多少の擦り傷なんて気にならない。

 風が止みだした。
 瞬はゴミ箱を起こし、濡れた前髪をかきあげた。達也は自転車を立て、鞄をカゴに放りこんだ。
「最後に雨か」
「…問題集がずぶ濡れだ」
 二人ともシャツの裾を絞りながら、笑い出した。
 瞬が、ラジオのスイッチを入れる。
“台風8号は、先ほど日本海に抜けました。再上陸の恐れはなく…”
 台風一過。瞬は夜空を見上げた。
“次に、新しく発生した台風9号の情報です。大型の台風9号は、早い動きで現在、北上しており、明日にも本州に…”
 淡々としたアナウンサーの声に、二人は、ごくりと唾を呑みこんだ。



Copyright © 2006 八海宵一 / 編集: 短編